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Column


・・・新連載スタート!!


 本コラムでは、皆様からの生命科学に関するあらゆる質問にお答えします。
 webへ掲載可能なお名前(ニックネーム)にて、ご質問お願いします。

作者略歴
作者名:本螺 新一郎(ほんら・しんいちろう)
大阪大学大学院医学系研究科博士後期過程修了。医学博士(Ph.D.)。
理化学研究所などで研究員を務め、現在は民間の研究開発職。
専門は医学・生物学(生理学、病理学、栄養学、神経科学、医用工学、幹細胞工学など)。


第6回 猫のクローンについて(その2)
<質問>
読者の皆さま、こんにちは。
まずは、今回の執筆に先立ちまして、日本列島を蹂躙した、台風19号の被害に遭われた方々に、哀悼の意を表します。この原稿を書いている時点では(10/14)、いまだ各地で河川の氾濫による被害者の救護が続いています。少しでも早い諸設備の復旧と、皆さまが日常を取り戻されますことを祈念いたします。

さて、前回、神奈川県の K.N.さんからいただいたご質問(亡くなったペットの猫は再現可能か?)ですが、猫の毛色が遺伝子的にどのように決まるか、というところまで説明いたしました。今回は、それ以降の「クローンとは何か?」と「愛猫の再現は可能なのか?」の順に解説を続けたいと思います。

<回答>

「挿し木」って「クローン」だったの?
前回の終わりに、クローン(clone)については「人工的に生み出された、遺伝情報が全く同じ個体」と、簡単に説明しました。「人工的」とは書きましたが、正確には「天然のクローン」も存在します。たとえば一卵性の双子や三つ子が、そうです。あるいは、アメーバやゾウリムシといった単細胞生物が細胞分裂で増えた場合、これもクローンと呼んで差し支えありません(「無性生殖」と言います)。

歴史的には、植物の「栄養生殖」、いわゆる「挿し木」のことをクローンと呼んでいました。栄養生殖とは、ようするに「種子・胚」を経由せずに繁殖する様式のこと、つまり雌雄による「有性生殖」を介さずに個体を増やすことです。

そうした概念を植物から動物に拡張したのが、現在、生物学で用いられているクローンという用語です。ちなみに、栄養生殖の例としては、「匍匐茎(ほふくけい:竹)」や、「鱗茎(りんけい:園芸用語の“球根”)」、「塊茎(かいけい:ジャガイモ)」、「塊根(かいこん:サツマイモ)」などがあります。

「細胞の運命」を変えて羊のドリーが誕生
ここからは「動物個体」に絞って、クローンの話を続けます。
クローンの作出については、すでに畜産分野で利用が進んでいます。優良かつ安定した品質の供給を目的としているわけですが、その作出方法は大きく二種類に分かれます。一つは「受精卵クローン」で、もう一つは「体細胞クローン」です。

受精卵クローンは、その名の通り、受精卵を基にした方法です。受精卵から細胞分裂が数回進んだ初期の「胚(はい:Embryo)」は、まだ「分化全能性(あらゆる臓器になれる能力)」を持っています。たとえば4~5回の分裂を経た胚(16~32個の細胞塊)を利用すると、受精卵と同じ遺伝形質を持った動物が、細胞の個数だけ生まれるというわけです(もちろん成功率で左右しますが)。各細胞は冷凍保存可能で、出産は代理母になりますが、受精卵クローンは、まさに「人工的な多胎児」を作成しているといえます。しかしながら、遺伝情報としては親のクローンではないところには、注意が必要です。

もう一つの体細胞クローンは、逆に「親のクローン」を作る技術と言えます。体細胞は、ようするに「体の様々な臓器を作る、生殖細胞以外の細胞」のことです。通常、体細胞は、他の細胞に変化する能力「分化能」はありません。皮膚なら皮膚、心臓なら心臓と、分化が終われば、そのままです。分化全能性を持つ受精卵を頂点として、最終的な臓器の細胞を目指しながら、分化は進みます。これを「細胞の運命(cell fate)」と言います。文学的な表現に聞こえますが、生物学の専門用語です。かつては細胞の運命を変えることはできないと考えられていましたが、1996年に作出された羊のドリーを皮切りに、体細胞から取り出した細胞核を同じ動物種の卵細胞に移植することで、研究レベルでは様々な動物でのクローンが作出されています。


双子は指紋も同じ?
さて、ご質問のあった猫のクローンですが、実は2001年に米国のテキサスA&M大学でクローン猫が誕生しています。このとき雌の三毛猫を実験に使用したので、同じ遺伝情報を持っているクローン猫も三毛猫になりました。しかし、毛色のパターンは、元の猫と異なりました。なぜなら色素沈着の遺伝子発現パターンは、遺伝情報にくわえて環境要因やランダムな発現調節で決まるからです。

こうした、後天的な遺伝子発現の調節を「エピジェネティクス(epigenetics)」と言います。簡単に説明すると、エピジェネティクスとは「どの遺伝子が発現して、どの遺伝子が発現しないのかを、どのように制御しているのか?」ということであり、その謎を解く研究分野のことでもあります。人間でいうと「指紋」や「末梢血管の走行」などは、双子といえども異なることが知られています。同じ遺伝情報の持ち主で、形は大雑把に似るのですが、細かなところは偶然や環境への応答が左右して、柔軟さをもって外界に適応するわけです。エピジェネティクスの全貌については、まさに研究の最前線なので、これから面白い事実が、どんどん判明することでしょう。


クローンは体質や性格を引き継ぐの?
このように見た目(特に毛色のようなもの)が全く同じ個体を作成することは現在のところ難しいのですが、それでは体質や性格については、どうでしょうか?

体格や肉付きなどについては、おおむね遺伝情報で決まります。畜産や酪農で利用が進む理由です。しかしながら、それ以外の体質、たとえば病気への抵抗性や免疫などについては、遺伝性の疾患以外は、後天的(環境・食事など)に決まるでしょう。つまり、エピジェネティクスです。

また性格や行動パターンについても同様です。いくつかの遺伝子が、性格や行動パターンに影響するらしいことが分かりつつありますが、経験や学習などの後天的な要素で決まる方が、最終的な割合としては大きいのではないでしょうか。ここは研究者によって、様々な議論があるところです。

当然ながら、元の猫の生前の意識や記憶、体験などをクローン猫に引き継がせることも、今の科学では不可能です。なぜなら脳という複雑な神経ネットワークを解析することも、ましてや再構成することもできないからです。

結論としては、現状の科学技術では、クローン動物(遺伝子レベルでのコピー)を作出することは可能でも、それは元の動物とは違った個体である、ということになります。



第5回 猫のクローンについて
<質問>
先日、実家で飼っていた三毛猫が亡くなってしまいました(たぶん老衰です)。そこで、ペットロスの母のために保護猫の譲渡会に行って、できるだけ毛色の似た子を見つけてあげたのですが、やはり「あの子とは違うわね」と言われてしまいました。幸い、貰ってきた子が母になついてくれたので、母も慰められているようで良かったのですが…。

人間のエゴだということは百も承知なのですが、SFのように(クローンというのでしょうか)、最新の科学で亡くなった猫をもう一度生み出すことはできるのでしょうか?(神奈川県 K.N.)

<回答>

K.N.さん、ご質問ありがとうございます。長く時を過ごしたペットは家族も同然ですよね。お母様の悲しいお気持ちはお察しいたします。

さて、ご質問のお答えですが、今の技術で、亡くなった猫のクローンを作製することは可能です。ただし、全く同じ猫の再現は現時点では叶いません。残念ですが、お母様のお気持ちを慰めることは、難しいでしょう。

今回は、このあたりの事情について、少し詳しくお話ししたいと思います。

猫の毛色を決める遺伝子
まず、下の表に猫の毛色を決める遺伝子をまとめました。

White、全身が白色
Orange、茶色
Agouti、1本の毛に濃淡縞が入る
Black、黒色 *Brownと表記することもある
Color Point、顔や耳、四肢、尾のような先端の色が濃い
Tabby、虎縞
Inhibitor、銀色
Dense、色を濃くする
Spotting、白斑(部分的な白色)

すべての猫の毛色は、9種類の遺伝子の組合せで決まります。そして、通常の遺伝子は2つ1組で、どちらか一方が発現します。どちらが発現するのか、ですが、実は、同じ遺伝子でも発現しやすいタイプ(優性)と発現しにくいタイプ(劣性)があります。ちなみに優性の遺伝子はアルファベットの大文字、劣性は小文字で表します。


三毛猫が生まれてくるには
さて、たった9つとはいえ、すべての組合せを解説するのは大変なので、ここでは、K.N.さんのお母様が愛された、三毛猫を例にしましょう。

そもそも三毛猫が生まれてくるには、茶色(O)と黒色(B)、そして白斑(S)の遺伝子が必要です。3つのうち、最も影響の大きな遺伝子は白斑(S)です。したがって三毛猫の遺伝子は、必ず白斑の優性「S(ラージエス)」が含まれている「S, S」か「S, s」で、劣性「s(スモールエス)」だけの「s, s」では白斑は現れません。ちなみに、白斑は腹側から手足に向かって広がり、「S, S」の方が「S, s」よりも面積が大きいです。

次に影響の大きい遺伝子は茶色(O)です。日本人の感覚では「茶色」なのですが、西洋的には「Orange(橙色)」と表現されるのは少し面白いですね。それはともかく、もし茶色の優性遺伝子「O(ラージオー)」が2つある「O, O」の場合、白斑の影響範囲外は、すべて茶色になってしまいます。一方で、劣性遺伝子「o(スモールオー)」が2つの「o, o」の場合、茶色の毛は生えません。したがって三毛猫の茶色遺伝子は、必ず「O, o」の組合せです。

残りの遺伝子は黒色(B)で、優性の「B(ラージビー、黒色)」と第二優性「b(スモールビー、焦げ茶色)」、そして劣性「b-(スモールビーマイナー、明るい茶色)」の3タイプがあります。つまり、黒色(B)遺伝子の影響が薄まると、少しずつ茶色になっていくわけです。以上より、三毛猫には、次のような遺伝子の条件がそろっていることになります。

1)白斑の優性遺伝子(S)を持っていること。 「S, S(広い白斑)」、「S, s(狭い白斑)」
2)茶色の優性遺伝子(O)と劣性遺伝子(o)を持っていること。 「O, o」
3)黒色の遺伝子(B, b, b-)を持っていること。 「B, B(黒色)」「B, b(黒色)」「B, b-(黒色)」「b, b(焦げ茶色)」「b, b-(焦げ茶色)」「b-, b-(明るい茶色)」

そして、こうした遺伝子条件を持った猫では、皮膚の各部分において、次のようにして毛の色が決まります。


オスの三毛猫
ちなみに、オスの三毛猫がほとんどいないことは有名ですが、その理由は茶色遺伝子(O)にあります。実は、OはX染色体に含まれているのです。X染色体を2本持つ場合(X, X)は女性で、X染色体とY染色体を1本ずつ持つ場合(X, Y)は男性になることは、聞いたことのある方もおられるかもしれません。

先に説明したように、三毛猫になるためには、2種類の茶色遺伝子(優性「S」、劣性「s」)が必要です。しかし、そのためにはX染色体を2本持つ必要があります。つまり、基本的には、三毛猫はメスでしか生まれない毛色ということです。ただし、まれにX染色体を2本持つオス(X, X, Y)が生まれることがあります。これは、染色体異常(突然変異)の一種で、クラインフェルター症候群といいます。このように偶然に生まれる特殊な症例でのみ存在するのが、オスの三毛猫なので、とても珍しいわけです。

クローン猫について
話を戻して、クローンについてお話ししましょう。ここでは作成法など、専門的すぎるお話はいたしませんが、要するにクローンとは「人工的に生み出された、遺伝情報が全く同じ個体」のことです。つまり、新しく生まれたクローン猫と亡くなった猫の遺伝情報は全く同じです。

しかし、クローン猫は、元の毛色と全く同じになるとは限りません。なぜなら、猫の毛色は遺伝情報だけでは決まらないからです。そうした、後天的な遺伝子調節のことを「エピジェネティクス(epigenetics)」と言います。つまり、愛猫の毛色の模様は、一匹一匹がかけがえのないものなのです。

それでは、毛色以外については、どうでしょうか。たとえば性格や体質などは、クローン猫に引き継がれるのか、気になるところですよね。

とはいえ、今回は少し長くなりすぎました。続きは次回に持ち越すことにいたします。



第4回 熱中症について
<質問>
今年は一段と暑さが堪えますね。外を歩くと汗が止まりません。私が子供の頃は、今よりは暑くなかったと思いますし、まして熱中症で亡くなる人なんて、ほとんど聞いたことがありませんでした。

そこで質問なのですが、実際のところ、熱中症で亡くなるとき、私たちの身体の中では何が起きているのでしょうか? もしかして、今と昔を比べて私たちは暑さに弱くなったのでしょうか?(神奈川県 S.U.)

<回答>

S.U. さん、ご質問ありがとうございます。今年は特に梅雨が長かったせいか、蒸し暑さが辛いです。S.U. さんがおっしゃるように、確かに、昔よりも夏は暑く長くなっているようですね。

平成30年の6月に気象庁が公表した「ヒートアイランド監視報告2017」を参照すると、日本の気温は過去100年間で上昇しているようです。

中でも都市部の温暖化は著しくて、例えば東京の年間平均気温は100年前と比べて3.2度も上昇していますし、S.U. さんがお住いの神奈川県における都市部の代表として、横浜市の年間平均気温は2.8度も上昇しています。

熱中症と日射病
さて、私も昔は、熱中症より「日射病(熱射病)」の方をよく耳にしていたように思います。実をいうと、熱中症とは包括的な概念で、高温多湿な環境下で生じる不適応症状の総称です。つまり、日射病は熱中症に含まれる病態というわけです。

近年、熱中症を耳にすることが多くなったのは、住環境が変わったせいで、夜間に発症して救急で運ばれることが増えたから、かもしれません。地球温暖化のようなことを軽々に論ずるのは、分を越えるので控えますが、私たちの住環境が昔よりも著しく変化していることは間違いありません。

 

高齢者に多いのですが、「エアコンは体に悪い」という俗信から夜の就寝時にエアコンを切ってしまうことが熱中症の大きな原因にもなっています。特に体温調節の未熟な5才以下の幼児や、身体の水分量が減っている65才以上の高齢者には、注意が必要です。

地球環境とお財布に配慮することも大切ですが、まずは健康あってのお話であることは意識しても良いのではないでしょうか。

日射病、熱失神、熱痙攣、熱疲労
それでは、熱中症について、簡単に説明しましょう。
先に述べたように、熱中症には、日射病の他、熱失神と熱痙攣、熱疲労が含まれます。

まず、日射病は、直射日光などによって体温が上昇し、大量の発汗によっても体温調節が効かない状態のことです。特に、体温が40度を越えて意識障害を起こした上に無発汗で、むしろ皮膚が乾燥するほどになったものを熱射病といい、ここまでくると命も危ぶまれる状態です。

熱失神は、日射病ほど酷くはないのですが、意識を失うという意味では怖い症状です。原因としては、高温における発汗過多からくる脱水症状に加えて、放熱を目的とした末梢血管の拡張から血圧が低下し、脳に循環する血液が足りなくなることが挙げられます。

熱痙攣も、四肢の痙攣や硬直といった症状がパニックに繋がりやすいため注意が必要な症状です。原因としては大量の発汗に伴って失われた電解質(ミネラル)が補充されていないことが挙げられます。ようするに水分だけ補給して、ミネラル分が極端に薄まった状態なわけです。

最後に熱疲労ですが、これは発汗によって体表温度は正常なのですが、深部体温(身体の内側中心の温度)が高いまま下がっていない状態のことです。脱水によって血液の量が一過性に少なくなったことから、血液循環が悪くなり、深部の熱を体表まで運べないために引き起こされると考えられます。

総じて、熱中症のときには、体内の水分や電解質の量がアンバランスになって、体温が高くなりすぎた状態をコントロールできなくなっているわけです。

ホメオスタシス
そもそも私たちの身体では、様々な調節が複雑なメカニズムで働いています。特に、体温などのように、一定の範囲内に体内環境の変動を押さえるような調節機能をホメオスタシス(Homeostasis、恒常性)といいます。

体温の他には血液や体液、中でも血圧や浸透圧、pH、カルシウム濃度、血糖などがホメオスタシスで調節されています。

またホメオスタシスには、広義の免疫機能(異物の排除)や創傷の修復なども含みます。ようするに、外部環境の変化によって及ぼされる体内環境への影響を最小限にするためのメカニズムといって良いでしょう。

それぞれのメカニズムについて説明することは、ここでは煩雑になりすぎるので、個別の機会に触れることにします。いずれ個人差はあるにせよ、外部環境の影響が大きすぎて、ホメオスタシスの能力を越えてしまうことが、病気の原因の一つといって良いでしょう。

人間は暑さに弱くなっている?
S.U. さんの、もう一つのご質問ですが、私たちが後天的に暑さに弱くなっている可能性については、今の子供たち世代にはありうるかもしれません。というのも、汗腺の数は新生児から幼児期にかけての生活環境で決まるそうなのです。

つまり、温度変化の少ない室内で過ごしてばかりいると、汗腺の数が減るため、体温調節が下手になるというわけです。もちろん世代に特有と言うわけではなく、私達、大人世代でも、快適すぎる環境で育ってきた人は同様です。

 

結局のところ、子供の頃から適度に汗をかく体験をすることには、キチンとした意味があるということです。とはいえ、ものには限度がありますから、ホメオスタシスの効く範囲の環境で、水分やミネラルを適度に補充しながら、熱中症を予防してくださいね。



第3回 心(自己認識)の発生について
<質問>
本螺先生、こんにちは。ここ数年、私の親戚や友人に出産が続いています。お祝い事が重なると財布が痛いですが、自分に子供がいないせいか、赤ちゃんや子供の相手をしていると心が和みます。そんなこともあって、最近、年の違う何人もの子供たちに接して、子供の心の発達に気づくようになりました。

それぞれの年齢の子供を見ていると、たった数か月の差でも生後からの時期で違いがあるようです。特に物心つく前の、急に人見知りを始めたりする時期の自我の芽生えと言いますか、自分と他人の違いを理解しはじめる時期の発達に興味があります。抽象的な質問で恐縮ですが、こうした「心の片鱗」のようなものは、どのように生まれてくるのでしょうか? あるいは人間以外の動物にもあるのでしょうか?(東京都 R.K.)

<回答>
R.K.さん、こんにちは。私も子供を見ているだけで和みます。私は独り者ですが、妹の子供が小さい頃は、よく可愛がったものです。でも、私の妹からは「たまに相手するだけだから、そんな悠長なことを言ってられるのよ。こっちは毎日が戦争なんだから!」と怒られていましたが(苦笑)。

自己認識(self-awareness)とミラーテスト
さて、おそらく、R.K.さんがお気づきになられた「心の片鱗」のようなものとは、発達心理学などでいう「自己認識(self-awareness)」と呼ばれる心の働きであるように思います。要するに「自分自身を対象にした認識」のことで、言い換えると「自分についてのイメージ」のことですね。主観に関わる、高度な心の働きの一部と考えられています。もちろん「他人の認識」は、自己認識と裏表の関係にあります。そうした心の話は、どちらかというと人文科学や社会科学ではないかと思う方も多いかもしれませんが、「自己認識」を生命科学で研究することだって不可能ではありません。

有名かつ古典的な実験に「ミラーテスト」という実験手法があるのですが、ご存じでしょうか? 

より正確には、ミラーテストでは「自己の(身体的な)視覚イメージ」を持っているのかを確認します。具体的な内容は、それぞれの研究に当たってもらうのがよいと思いますが、ごくごく簡単に言うと、目の前に映る存在が「自分自身」であると認識していることを確認できれば、直接には見えていなかったはずの「自分自身」を視覚的にイメージしていることの証明になると考えるわけです。最も古典的な方法では、被験者の意識のないときに(気付かれないように)目立つ印をつけて、鏡を見たときに、印に気付いて何かの行動を起こすかどうかで判定します。

 

このミラーテストをクリアできるのは、ヒトでは1歳半~2歳くらいからということです(もちろん平均的な傾向です)。そして、ミラーテストに合格する動物は、まだそれほど多く確認されていません。当たり前の話ですが、自然界に鏡はありませんから、動物達にとって「自分自身を見る」という体験は想定外です。そう考えると、この自己認識の能力、つまり心の働きは、とても興味深いですよね。ヒトの場合、ミラーテストをクリアする前の時期では鏡の中の自分に対して「仲の良い友達」のように振舞うようですが、野生動物の場合は「威嚇行動」をするようです。いずれにせよ、鏡に映る像に対して「自己」を見出さず、「他者」として社会的な振舞いを見せるわけです。

そうした「社会的な振舞い」と「自分に付けられた印に気付いて起こす何らかの行動」が切り分けられて観察できるところに、ミラーテストによって「自己認識」が確認できるポイントがあります。ということは、そもそも社会性の希薄な生活パターンで生息する動物や、そもそも自己の視覚イメージに重きを置かない動物が対象のときは、この方法だと原理的に「自己認識」を確認できません。したがってミラーテストに合格しなかったからといって、被験者に「自己認識が無い」とはいえないことに注意が必要です。そうした限界があることを踏まえて、これまでミラーテストによって「心の片鱗」が垣間見えた動物達を紹介してみましょう。

「心の片鱗」が垣間見えた動物達
まずは、ヒトに近い霊長類から。
最も研究が進んでいるのはチンパンジーです。とは言え、彼らも最初は鏡の中の自分に威嚇します。何度か威嚇するうちに「何か変だな?」と気付くようです。一説に寄れば、チンパンジーの知能はヒトの4歳児並だということですし、私達に類する「心の片鱗」を携えていても当然な気もしますね。チンパンジーの他では、ボノボ (別名:ピグミーチンパンジー)やオランウータンがミラーテストをクリアしています。

 

面白いのが、ゴリラでは確認されていないことです。実は、彼らにとって「長時間、他者と目を合わせること」は、攻撃的なジェスチャーなのだそうです。つまり、鏡の中の自分と目を合わせないことが、テストに合格できない理由なのかもしれません。

他の動物では、イルカゾウがテストに合格しています。ゾウが合格できたのは全身が映る大きな鏡を用意できたから、と言う理由だそうなので、もし巨大な鏡が準備できるなら、クジラも合格する可能性は高いのではないでしょうか。

哺乳類以外で合格した動物には、今のところ、カササギ (別名:カチガラス)という鳥とホンソメワケベラという魚がいます。



カササギは、鳥類で一番大きな脳を持つと言われていますが、鳥類には大脳新皮質がありません。つまり「心の片鱗」に、大脳新皮質は必須ではないのかもしれません。ただ個人的にはカラスが合格していないのは謎ですね。ホンソメワケベラは「掃除屋」として有名な魚で、他の大型魚類の鰓や体表から寄生虫を捕食します。他種との社会関係を構築することなどから高い知能を発達させたのではないか?と考えられているそうです。いずれにせよ、「心」がヒトの専売特許ではないらしいことが、少しずつ明らかになってきています。



第2回 「永遠の命」の理論的な可能性について
<質問>
本螺先生、はじめまして。人間の寿命について質問いたします。昨年のニュースですが、日本人の平均寿命が最高を更新したそうです。今後も、医学の発達とともに私たちの寿命は伸びていくのでしょうが、最後まで元気に過ごしたいものです。

さて、古くなった細胞を入れ替えることにより、人間が「永遠の命」を得ることは、理論的には可能である、という話を聞いたことがあります。iPS細胞などの研究が進んでいけば、本当に「永遠の命」を手に入れることができるのでしょうか?(神奈川県 K. K.)

<回答>
K. K.さん、はじめまして。ご質問をいただき、ありがとうございます。

平均寿命
厚労省がまとめた2017年度の統計では、日本人女性の平均寿命が87.26歳、男性では81.09歳になり、それぞれ世界2位と3位なんだそうです。19世紀までは日本人の平均寿命が40歳代であったことを考えると、たった百年で倍に寿命が伸びたことは、実に感慨深いものがありますね。

ただし、よく誤解されるのですが、平均寿命とは「亡くなられた方の年齢を平均したもの」ではなく、「人口統計の推移から計算した、新生児の余命の期待値」なんです。言い換えると先の数字は、「2017年生まれの子供は何歳まで生きる可能性が高いのか?」という意味になります。

勘の鋭い方なら、平均寿命の長さには「新生児死亡率」が影響を与えるのでは?と直観されるでしょう。実際のところ、周産期医療(妊娠や出産、新生児に関する医療)や公衆衛生の発達が、データとしての「平均寿命の延長」を牽引しています。

 

iPS細胞
さて、京都大学の山中伸弥教授がノーベル賞を受賞したことで、広く知れ渡ったiPS細胞ですが、正式には「人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cell)」といいます。1文字目のアルファベットを小文字にした理由が、アップル社の携帯音楽プレーヤー「iPod」にあやかっての命名であることは有名ですよね。

iPS細胞そのものの解説は他書に譲ることにして、ここでは「皮膚のような細胞から樹立し、様々な臓器の細胞に誘導できる」という特徴に注目します。なぜなら、まさに、ご質問の肝が、この、iPS細胞における最大の特徴に凝縮されているからです。というのも「細胞を入れ替える」ということは、「移植医療」の分野になります。

移植医療
現状、ほぼ全ての移植医療は「他家移植」といって、ドナー(donor:細胞や臓器の提供者)とレシピエント(recipient:移植を受ける患者)が別人ですから、移植後のレシピエントには拒絶反応が生じます。しかし、ドナーとレシピエントが同じである「自家移植」では、原理上、拒絶反応は起こりえません。たとえば顔などの火傷部位に、臀部などから採取した皮膚を移植するような場合ですね。

同じように、もしiPS細胞によって、患者自身の細胞から移植に必要な臓器を作成して治療に用いれば、それは自家移植なのです。これが、iPS細胞などの幹細胞工学に期待されている究極の目標でしょう。

 

こうした生命工学の発達した先には、病気の治療を超えて、「古くなった細胞を入れ替える」ことが考えられます。つまり「老化を防ぐ」あるいは「若さを保つ」、いわゆるアンチエイジング(anti-aging)の可能性ですね。

人間の寿命が1,000年?

今のところ、人間の寿命の限界は約120歳と考えられています。ちなみに記録に残っている最長寿の方は、フランスの女性でジャンヌ・カルモンさん(122歳164日)です。しかし、身体の老化現象を細胞レベルで解消できれば、寿命1000年も夢ではない、とする科学者もいます。オーブリー・デ・グレイさんというのですが、今のところ、生物学の中では異端扱いです。

しかし妄想と断ずるのは早計です。事実、老化とは「細胞レベルでのダメージの蓄積」ですし、そのダメージを解消するための技術は生命工学の発達で可能になるでしょう。異端とはいえ、彼の考えには魅力があります。ただ、とても過激であることも確かです。一例を挙げると、彼の「ガンを無くす方法」です。

 

ガン
そもそも、ガンとは「細胞分裂の制御が暴走した病態」です。ガン細胞では、細胞分裂に関係するテロメアーゼという酵素が過剰に働いています。そこで彼は「ガンにならないためには、体中のテロメアーゼを無くせばよい」と言うのです。しかし、テロメアーゼが無いと細胞分裂が適切に行われなくなって、かえって寿命が縮みます。それを解消するために、彼は「随時、足りなくなった細胞を移植すればよい」と言います。工学的には理屈に合っていますが、生物学的には、技術的にも思想的にも、なかなか過激だと思います。

永遠の命
まだまだ、SFの領域ですが、もし老化した身体を次々に新しい細胞に交換できる時代になったとしても、永遠の命は難しいでしょう。なぜなら、今の技術では交換不能な身体の部位があるからです。それは「脳」です。確かにiPS細胞から神経細胞を誘導することはできます。しかし脳は、神経細胞同士の複雑なネットワークです。人間の場合、約800億個の神経細胞があり、神経細胞1個には他の神経細胞と1万個の接続があると考えられています。このような天文学的な数で組み合わさったネットワークを再現する技術は、今のところ存在しません。したがって、現時点での人間の寿命は「脳の限界」で決まりそうです。もちろん、今後の科学の発達によっては、これも解消されるのかもしれませんが。



第1回 はじめまして

はじめまして。本螺新一郎と申します。
この度、生命科学をテーマに本コラムを執筆することになりました。

皆さまからの様々なご質問にお答えする形で、素朴な疑問から最新ニュース、実験技術の解説まで、生命科学諸分野のトピックを分かりやすくご説明していきたいと考えております。

生命科学は、日々猛烈な速さで進歩し続けています。私が今までに得てきた広範な研究経験が、皆さまの理解の一助となれば幸いです。

さて、ご挨拶はここまでにいたします。今回は、もちろん、どなたの質問もございませんので、自己紹介を兼ねて、以下、私の研究歴に雑想を交えながらの1人がたりとなります。

専門分野
ざっくりとした言い方では、私の専門分野は「生理学」ということになるでしょうか。

アカデミックで一番長く研究した分野は、いわゆる脳科学です。ケージ内を自由に動くラット脳の神経伝達物質を分析したり、培養細胞を使って神経発達の解析を行ったり、細胞から個体まで、様々に実験していました。また、幹細胞(ES細胞やiPS細胞)を用いて、応用デバイスの開発や発生にまつわる基礎研究を行っていた時期もあります。
 

あるいは細胞レベルの試験と動物実験、そして人の病理検査を橋渡しできる低侵襲な検査技術の開発にも携わっていました。民間で製薬会社のお世話になることもあり、新規医薬品候補のスクリーニングや薬物動態に関わりました。こうして振り返ると、我ながら本当に広範な研究歴だと苦笑するところです。

まだまだ薬が足りない!
製薬といえば、皆さんは、この世に出回っている医薬品が何種類あるのかをご存知でしょうか?

いわゆる「認可された医薬品」は、「薬局方」に登録されています。薬局方とは「医薬品や生薬の品質規格書」なのです。ちなみに薬局方は世界各国にあり、日本の場合は厚生労働大臣が「医薬品医療機器等法(薬機法)」に基づいて定め公示する公定書です。その薬局方ですが、米英日では、それぞれ約2万種類の生薬や医薬品が掲載されています。

一方で、この世の疾病が何種類あるのか、ご存知の方はおられますか?

世界保健機構(WHO)の作成した国際疾病分類(ICD)によれば、疾病の数は3万から4万種類にも達します。つまり、単純に考えて「まだまだ薬の無い病気が数多く存在する」と言えそうです。

もちろん、詳細に述べれば、抗生物質のように何種類もの病原菌に効果を発揮する薬も存在しますし、同じ病原菌でも異なる病態として報告される疾病もありますから、荒い数字ではあるのですが、ざっくりとした感覚で「万のオーダーの疾病に薬がない」と考えて間違いないと思います。いかに近代科学が進んだとはいえ、人類が病を克服するには、もうしばらく時間が必要なようです。

 

動物実験

私は、アカデミックでの基礎研究が長かったこともあって、動物実験(特にマウス・ラット)を多く行いました。もちろん無益な殺生をしてきたつもりはありませんが、実験データになってくれた実験動物の供養として、慰霊祭には必ず参加しています。

閑話休題。動物実験に際して、彼らに苦痛を味あわせてはならないことは、国際的な常識になっています。いわゆる「実験動物の福祉」ですね。最近では動物実験に「Replacement(代替)」「Reduction(削減)」「Refinement(改善)」の3Rが提唱されています。つまり、同じ効果を確認できるのなら代替可能な実験材料(細胞など)に代え、実験に動物を使うとしても統計学的に必要な最小限度の数に押さえ、その場合も飼育環境に気をつけて麻酔などで苦痛を最小限にする、という指針です。

しかしながら、そもそも人体実験が倫理上不可能であるからこそ必要とされる動物実験であれば、まだまだ未解明の謎を多く抱えたままの医学で、どこまで可能とするべきか、議論の尽きないところですね。

麻酔薬
ところで、もちろん人間にも使用される麻酔薬ですが、実は「なぜ全身麻酔が効くのか?」という根本的なところが分かっていません。何とも恐ろしいことなのですが、「ここまでは安全だろう」という、半ば経験則的に使われています。かつて、不眠症に悩まされていたマイケルジャクソンが使用過多で亡くなったことを覚えておられる方もいらっしゃるでしょう。

ある研究によれば、全身麻酔時の脳波は、睡眠時とは異なり、むしろ昏睡時に近いのだそうです。もちろん麻酔科医の管理下で慎重に投与される分には心配ありませんが、素人が簡単に使える代物ではないようです。マンガやアニメ、映画などではハンカチに含ませたり、微小な針に仕込んだりした麻酔薬で簡単に相手を眠らせることが出来ますが、現実では相当に怖い薬です。

さて、話は尽きないのですが、この辺りで今回はお開きにいたしましょう。次回からは、皆さまの質問にお答えする形で進めてまいります。ぜひ、上記の「質問箱へ投稿する」をクリックしてお気軽に皆様の質問をお寄せください。それでは、今後ともよろしくお願いいたします。