スラムの学校を訪問
スラム街の中を15分ほど歩き、目的の学校に着きました。
私達が行くことを連絡してあったので、全校生徒が校庭に出て、勢ぞろいして待っていてくれました。小学校1年生くらいから中学校2年生くらいまでの子供たちだったでしょうか。子供たちはとてもかわいらしく、あどけない笑顔が印象的でした。
まず、驚いたことは、子供たちが皆きれいな赤い制服に身を包み、靴を履いていたことです。なぜ、驚いたのかというと、学校に来るまでの道すがら、スラムの中でこの学校の何倍もの数の子供たちを見かけたのですが、みな非常に汚い身なりで、かつ、みな裸足だったからです。
「路上でたむろしていた子供たちは、なぜ学校へ行かないのだろう」と不思議に思い、関係者に聞いてみると「子供に仕事をさせるために学校へ行かせたがらない親がまだたくさんいる」とのことでした。そのため、特に学校内の中学生は、ぱっとみたところ男子は15名くらい、女子は数名だった気がします。
バングラデシュの国語は、ベンガル語ですが、成人(15歳以上)の識字率は、わずか56.8%とのことです(Human Development Report 2011年)。
インド、英国、パキスタンからの政治・経済・文化の抑圧に翻弄された歴史を持つバングラデシュは、1971年に独立しました。それはベンガル民族にとっての悲願だったそうです。
そのため、文化(特に言語、つまりベンガル語)侵略に対する強いアレルギーを持っているそうで、人気のドラえもんはヒンディー語であることを理由に放映禁止になり、市中の映画館もボリウッド(インド映画)は禁止されています(しかし、ケーブルテレビはほとんどインドチャンネルのため、「映画は家で」が定着しているそうです)。
インド同様、インテリ層はほとんどが英語を話しますが、ベンガル語での教育が一般庶民の隅々にまでいきわたるには、まだまだ時間がかかることでしょう。
<学校の様子1>
<学校の様子2>
私達のために、子供たち全員で、パーカッションと民族楽器の音楽に合わせて歌を2曲披露してくれました。両方とも動画で記録したのですが、このブログでは、動画を簡単に掲載できないようなので、残念ながら掲載はあきらめることにします。
また、その2曲とは別に一人の少女が代表で皆の前に出てきて、音楽に合わせてイスラム教の歌を披露してくれました。
小学校3年生くらいと思える少女が、一人で一生懸命歌っていたので、歌い終わったあと、私は思わずまっさきに拍手をしました。しかし、すぐに先生に拍手の静止を指示されました。あの手の歌のあとには、拍手をしていけないのだそうでした。
最後に子供たちに、ユーグレナのクッキーを手渡し、握手をして別れを告げました。どの子も本当につぶらな瞳のかわいい子たちばかりでした。
さて、学校をあとにして、私たちはそのまま空港へと向かい現地解散し、三々五々、それぞれの目的地へと旅立ちました。私はバンコク経由で羽田空港へと向かいました。
基幹産業であるアパレル製品の製造・調達拠点としての活用が進むバングラデシュは、人口1億5,250万人(2013年3月、バングラデシュ統計局)、そのうち約半数が25歳以下という若い国です。
感性豊かなバングラデシュ人の芸術的能力を評価する声は強く、原色を多用する色彩感覚は、絵画、サリー、伝統刺繍(ノクシカタ)、リキシャアートなどに表れています。インテリはみな絵画好きで、首相府、中銀はじめ、政府・財閥オフィスや社交場の壁には絵画があふれているとのことです。確かに私たちが訪れた場所には、立派な絵画が数多く飾られていました。
JETROが2012年に行った調査では、バングラデシュ人が好きな国のNO.2が日本(No.1はアメリカ)、重要な国もNo.2が日本(NO.1はインド)だったそうです。日本とバングラデシュとの交易がよりいっそう増えていくことを願って、今回のミッションの報告を終えることにします。
(この項、終り)