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海外での日本語学習者数 9.1%増加(398万人)

国際交流基金が2012 年に行った調査によると、世界各地における日本語学習者数が398万人となり、3年前の2009年に比べて9.1%増加していることがわかりました。 ⇒ 詳しくはこちら

下記の表は国際交流基金が作成したものです。

2014年1月 海外での日本語学習者数

中国に105万人もの日本語学習者がいて、かつ3年前に比べて26.5%もその数が増えてきているということはやはり喜ばしいことです。

その理由は「中国において、日本のポップ・カルチャーへの関心を背景にした学習動機や将来の就職など経済的・実利的理由に支えられて大学を中心に学習者が伸びてきている」からとのことです。

「ポップカルチャー」とは「大衆が愛好する文化」なので、色々なものが考えられます。音楽、スポーツ、映画、テレビ番組、ゲーム、マンガ・アニメ、ファッション、飲食物、大衆小説等々・・・・・。

日本人がジャズやビートルズに心酔したり、野球に熱狂したり、アメリカの映画スターを崇拝したり、ディズニーに憧れたり、ジーンズを穿いたり、ハンバーガーにパクついたりしたように、日本の文化が海外へ浸透していけば、こんなにうれしいことはないのですが・・・。

恐らく今のところは、日本のマンガ・アニメやゲームがかなり影響を与えているのでしょう。日本の外務省のサイトの中に「ポップカルチャー外交」というページがあります。

その中に「アニメ文化大使」や「カワイイ大使」や「世界コスプレサミット」などの文字が躍るのを見ると、お堅い日本のお役所もずいぶんと「柔らかく」なったものだなと感心することしきりです。

柔道、カラオケ、寿司、マンガ、アニメ、ゲームだけでなく、和食文化やお弁当、ファッションなど様々な分野のモノや思想が日本から輸出されていくことを願ってやみません。

さて、上記の表の中の韓国ですが、日本語学習者数が減ってきているところが少し気になります。しかし、その理由を見ると・・・・・

「韓国では、高校における教育制度の変更が、日本語を含む外国語選択に影響を及ぼしたこと等により、学習者数が減少しました。」

とあるため、多少安心しました。

インドネシアでは、中国に次いで87万人もの人たちが日本語を学習し、タイ、ベトナム、マレーシア、フィリピンなどの東南アジア諸国でも日本語学習者の数が増えてきてます。また、オーストラリアやアメリカにも多くの日本語学習者がいると知ってうれしいです。

一方、日本人によるアジア言語の学習者数はどのくらいいるのでしょうか?

アジア言語全体の詳しい資料はないのですが、日本人の中国語学習者に限っていえば、200万人を超えているという説があります。

しかし、その中のどれだけの日本人が中国語をモノにするでしょうか?

中国では日本語を専攻した大学生のうち90%以上が、2年間で日本語検定1級の資格をとってしまうと複数の中国人から聞いたことがあります。

日本人で2年間で中国語検定1級を取れる人がはたして何%いるでしょうか?

今後の日本人に期待したいところです。

 

外国での日本語学習者数

2013年11月29日 日本経済新聞朝刊より

アジアで育て 日本語人材

日本と中国、韓国がアジアで自国語を話せる現地人材の育成を加速している。日本は経済の結びつきが強まるベトナムで、日本語指導から日系企業への就職まで一貫体制を整える。中国や韓国も教師派遣や語学学校の開設を進める。自国語から仕事の流儀まで理解できる人材は貴重なビジネスインフラだ。企業のアジア戦略で競争の焦点となりそうだ。 

日本語学習者 新聞記事

(以上で記事終り)

中国ではアジア諸国において中国語を話せる人材の育成に力を注ぎ、韓国でも同様に韓国語を話せる外国人育成に力を注いでいるようです。

日本でもベトナムなどのアジア諸国において日本語人材の育成に力を注いているようですが、若年人口の多いインドネシアでは、中国語や韓国語の学習者に押され、ビジネス人材の日本語学意欲は低迷気味とのことのようです。

さて、この記事のグラフを見ていて、ちょっと論点とは違うことが気になってしまいました。

それはずいぶん昔から私が指摘してきたことですが、マスコミによる「情報操作」の点です。

上記のグラフもなぜ棒グラフに中抜きを使うのでしょうか?しかも中抜きの上と下とでは、メモリの幅が違っています。違うスケールのグラフの上に棒グラフを並べ、間違った情報を感覚的に植え付けようとしているとしか思えません。

下にあるグラフは、同じ数字を使って私がエクセルで作り直したものです。このグラフだと日本語学習者の数は中国、インドネシア、韓国の3か国が圧倒的に多く、ベトナムにおける日本語学習者の数は圧倒的に少ないということが視覚的にとらえられます。

日本語学習者

これと同様の話題を2009年7月に書いた私のブログの中でも触れているのでご興味のある方はご覧いただければ幸いです。 ⇒ 「子供だましのトリック」

これらの「情報操作」によるグラフを見ていて、今盛んにマスコミが叩いている、レストランやデパートでの食物の「偽装問題」を思い出してしまいました。

ちょっと大げさに言えば、こういうグラフは、「マスコミによる偽装」と言えるのかもしれません(笑)。

国語の調査(その2)

引き続き、文化庁の「平成24年度 国語に関する世論調査 の結果の概要」の話題です。

「慣用句の言い方」 どちらの言い方を使うか?の問いに対して、

が辞書等で本来の言い方とされるもの、✖が本来の言い方ではないとされるもの)

◆「つっけんどんで相手を顧みる態度が見られないこと」を 

(ア)  取り付く島がない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47.8%

(イ) ✖ 取り付く暇がない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41.6%

【 私の感想 】

年齢別にみると興味深い結果が出ています。16歳~19歳と60歳以上、つまり十代の若者と60歳以上の年配者が(イ)の「取り付く暇がない」を使っている割合がわずかながら多いということです。20歳代では、(ア)が55.4%で(イ)が29.1%にもかかわらずです。ちょっとこれはミステリーですね。

ちなみに私は(ア)の「取り付く島がない」を使います。

◆「実力があって堂々としていること」を

(ア) ✖ 押しも押されぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48.3%

(イ) ◯ 押しも押されもせぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41.5%

【 私の感想 】

年齢別にみると、60歳以上を除く全ての年代で,本来の言い方ではない(ア)「押しも押されぬ」を使うと答えた人の割合が,本来の言い方である(イ)「押しも押されもせぬ」を上回っていました。

私も60歳未満ですが、(ア)の「押しも押されぬ」を使うと思います。

◆ 「物事の肝腎な点を確実に捉えること」を

(ア) ◯ 的を射る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・52.4%

(イ) ✖ 的を得る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・40.8%

【 私の感想 】

これも年齢別にみると大変興味深いです。16歳~19歳は、(ア)が73.0%、(イ)が18.9%、20歳代が(ア)が56.0%、(イ)が37.1%と「本来の使い方」の割合が非常い高いのに対し、その他の年齢は(ア)が上回っているものの、そこまで極端な差がついていません。

これは最近この手の「言葉の使い方」がマスコミ等で話題になり、それを学校の先生方がとりあげ、生徒たちに教えたため、若い子がたちが「本来の使い方」を選ぶようになったのではないでしょうか?

ちなみにこの「的を得る」も正解であると唱える人もいるようなので、なにが正解なのかはよくわかりません。これに関する詳細は⇒こちら

◆「いよいよというときに使う,とっておきの手段」を

(ア) ✖ 天下の宝刀・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31.7%

(イ)  伝家の宝刀・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・54.6%

【 私の感想 】

これも年齢別にみると若い人の方が「本来の使い方」を使う率が高く、60歳以上が一番低くなっています。これもやはりマスコミから得た情報を先生や親が子供たちに教えた結果ということでしょう。

ちなみに私が中学校1年生の時、この「伝家の宝刀」という言葉をやたらと使うクラスメイトがいました。「奇妙な言葉を使うヤツだな」と思い、その意味を辞書を使って調べてみました。それ以来「伝家の宝刀」の意味を知っているので「天下の宝刀」にはやはり違和感があります。しかし、「天下の宝刀」という表現も悪くはないな、という気持ちも少しはあります(笑)。

◆「激しく怒ること」を

(ア) ✖ 怒り心頭に達する・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・67.1%

(イ)  怒り心頭に発する・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23.6%

【 私の感想 】

これは全年齢で(ア)の「怒り心頭に達する」が(イ)の「怒り心頭に発する」を大きく上回っています。正直言って、私も「怒り心頭に発する」には違和感があります。

いつも思うことですが、この「日本列島に住む日本民族の7割が正しいと感じる日本語」と「老人学者が正しいと主張する日本語」のいったいどちらが正しいのか?

言葉は時代とともに変わっていくものですから、多くの人が長年使ううちに「正しい」という基準は変わっていくものです。

「一所懸命」が「一生懸命」に変わっていったように・・・・

「波止場」が「港」へ変わっていったように・・・・

「停車場」が「駅」に変わっていったように・・・・

「ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じ奉る」が「お会いできて光栄です」に変わっていったように(笑)。

国語の調査(その1)

文化庁から、「平成24年度 国語に関する世論調査 の結果の概要」が発表されました。

なかでも「言葉の意味」がなかなか興味深い結果となっています。

それぞれの言葉に対し、「どちらが正しい意味か?」との質問に対する国民の回答結果です。

正解が、不正解が です。

◆ 役不足  例文: 彼には役不足の仕事だ 

(ア) ✖ 本人の力量に対して役目が重すぎること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・51.0%

(イ)  本人の力量に対して役目が軽すぎること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41.6%

【 私の感想 】

年齢別の正解率を見てみると、50歳代の正解が38.1%、不正解が57.9%なのに対し、16歳~19歳は、正解率、不正解率ともに47.3%でした。なぜか50歳代だけが突出して不正解率が高く、つづいて60歳代も不正解率が高かったのです。16歳~19歳の正解率が一番良かったのは、受験生だからでしょうか?

私も50歳代ですが、実は(ア)の意味が正しいと思っていました。なんとなく「力不足」という言葉と混同しがちですが、よくよく考えてみると「力不足」⇒「力が足りない」、「役不足」⇒「役が足りない」ということで、一応理屈にはあっています。

でも実際、この「役不足」という言葉を自分で使ったことはありません。もし言うとしたら「彼にはもっと難しい(高度な)仕事がふさわしい」とでも言うでしょうか。

 流れに棹(さお)さす  例文: その発言は流れに棹さすものだ  

(ア) ✖ 傾向に逆らって,ある事柄の勢いを失わせるような行為をする・・59.4%

(イ)  傾向に乗って,ある事柄の勢いを増すような行為をする・・・・・・・・23.4%

【 私の感想 】

これは全年齢で不正解率が高かったようです。私も不正解でした。「流れに逆らう」という表現は一般的にもよく使われると思うので、それと混同するからでしょうか?

船の棹は、川底を棒で突いて、舟を進めていきます。棹を強く突けば突くだけ、早く進む事が出来るので、(イ)の意味になるのでしょう。

そう考えてみるとなるほどと思いますが、自分で棹をつかって舟を進めたことがないので、この表現も自分自身で使ったことがありません。もし言うとしたら「火に油を注ぐ」という表現を使うでしょうね。

◆ 気が置けない  例文: その人は気が置けない人ですね 

(ア)  相手に対して気配りや遠慮をしなくてよい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・42.7%

(イ)  相手に対して気配りや遠慮をしなくてはならない・・・・・・・・・・・・・・47.6%

【 私の感想 】

これは私も知っていました。たしか高校の授業で習った気がしますが、ただその時も「なんとなく変な表現だな」と感じた記憶があります。この「気が置けない」は、「油断できない」という意味に受け取られがちですが、本来「気が置ける」とは「気を遣う」「遠慮される」という意味なので、その反対の「気が置けない」は「気遣いや遠慮の必要がない」という意味になるそうです。

やはりこの言葉も自分自身で使ったことはありません。もし言うとしたら「気を遣わずにすむ相手だから」みたいな言い方をするでしょうね。

 潮時  例文: そろそろ潮時だ 

(ア)  ちょうどいい時期・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・60.0%

(イ) ✖ ものごとの終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36.1%

【 私の感想 】

この言葉はよく耳にします。私自身も使った経験がありますし、もちろん意味も知っていました。「そろそろ潮時じゃないの?」みたいな言い方をしたと思います。

ただ、「そろそろ終わりにしてもいい時期じゃないの?」という時に使われることが多いと思うので、(イ)の意味ととらえた人が3分の1以上いたというのもうなずけます。

 噴飯もの 例文: 彼の発言は噴飯ものだ 

(ア)  ✖ 腹立たしくて仕方ないこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・49.0%

(イ)   おかしくてたまらないこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・19.7%

【 私の感想 】

私自身この「噴飯もの」という言葉を使ったことはありませんが、聞いたことはあります。しかしそれが「おかしくてたまらないこと」の意味だとは知りませんでした。「噴飯」は、「ひどく腹を立てること」の意味がある「憤慨(ふんがい)」を連想させるから間違える人も多いのでしょうか?正解者が2割弱で、(ア)の意味ととらえた人も半数近くいたわけですから、これはかなりな難問と言えるかもしれません。

「あまりにもおかしくて、食べかけのご飯を噴き出してしまう」から来ているようですが、そう聞けば「なるほど」とうなずけます。

メール使う人ほど日本語力低い?

2007.5.1 産経新聞

大学生の1日平均の携帯メール送受信回数と日本語の基礎学力の相関関係を調べると、送受信回数が多い学生ほど日本語テストの点数が低いという結果が出たという。専門家は「携帯メールのコミュニケーションで新たな語彙を獲得するのは難しい」とみる。

・・・・(記事の転載ここまで)

確かにパソコンを使うことにより、漢字が書けなくなってきていることは事実です。やはり小学校・中学校までは、キーボードを使わずに手で漢字を書く訓練はどうしても必要でしょう。

だからといって、メールやパソコンそのものにまでネガティブな反応を示すのは考え物です。

私達の子供の頃は、「最近の若者はまったく手紙を書かなくなった。ラブレターも書かずに電話で済ませる。日本の将来が危ぶまれる」とよく言われたものです。

テレビが出てきたときには、「一億総白痴化」が叫ばれ、ファミコンが出てきた時には、「子供の人格障害」が叫ばれました。大正時代、電話が普及し始めた時には、「大量失業時代がやって来る」、と多くの人が心配したそうです。それまで「使い走り」をしていた「丁稚・小僧」が必要なくなるからです。

しかし、現実はその逆でした。電話の普及により、人間はより人間的な仕事に専念できるようになり、科学・社会の進歩に大いに貢献したのです。

世の中に何か新しい事象がはやると、有識者・評論家と呼ばれるご老人が現れて、必ずネガティブな発言をします。そして、世の中の悪い事象と無理やりに結びつけ、批判します。なぜもっとポジティブな考え方ができないのでしょうか?

私の知り合いの19歳の少年は、中学時代通信簿が1と2ばかりでしたが、今ではブログを使って、自分の考えをしっかりと発信しています。あれだけの文章力、表現力があればたいしたものです。インターネットやケータイを使って、若いベストセラー作家が生まれたり、若い芥川賞、直木賞作家が生まれる時代になってきているのです。

「先輩・後輩」、「年功序列」、「封建主義」、「男尊女卑」、そしてきわめつけが「世間様に笑われるからやめなさい」・・・・・・。

こんな世相の中で、才能の芽を摘まれて、朽ち果てていった多くの若者がいた、昔の日本などに戻りたくはありません。

通常人間の脳は時間の経過と共に、「良い思い出」を残し、「悪い思い出」を忘れるよう、記憶装置に働きかけます。そうしなければ脳が重圧に押しつぶされてしまうからです。

そのため、有識者や評論家の言う「昔の日本はよかった、だけど今の日本はダメ」という言葉には、たいていの場合賛同できません。

しかし、いずれにしても、新しい時代にあった、新しいルール作りは必要なものです。有識者の方々には、その方面で「良識」を発揮して欲しいと心から願っております。

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ

2007.4.2 SankeiWeb

本書は洋画の字幕翻訳者による、映画字幕業界の裏話&字幕翻訳者からみた日本語論。

ユーモア込めつづる業界裏話

映画と言語台本を渡されてから字幕をつくりあげるまで、わずか1週間ほどしかないということにびっくりしました。

・・・・(記事の転載ここまで)

上記は映画の字幕翻訳者が書いた本の紹介記事です。

かつて字幕翻訳のプロといわれる翻訳者やその業界関係者から、下記のような話を聞いたことがあります。

映画のセリフはすべて文字になっていて、 かつ、”it” とか “that” とか “them” とかの指示代名詞は、それが何を指すのかが、全て注釈で明らかにされているそうです。文章の主語が何なのかさえわかりずらい、技術翻訳の原文とはずいぶんと大きな違いです。

また、上記でふれているように「翻訳と字幕作成の期間がわずか1週間」なのだそうです。もともと字幕・映像分野の翻訳マーケットは規模が小さいうえ、それを一握りの著名な字幕翻訳者達が、短納期、低料金で仕事を請け負ってしまうため、料金相場が崩れ、この分野で翻訳者が生計を立てるのはかなり難しい、とのことでした。

ケーブルテレビやDVDの普及とともに、字幕・映像翻訳の需要も増えてきているとは聞いていますが、もともとの仕事の量が少なく、競争が激しい世界ですから、趣味を仕事に生かす、とはなかなかいかないようです。

同じ翻訳業ではありますが、字幕・映像関係の仕事は、われわれ技術翻訳専門の翻訳会社とはかなり違う世界のようです。やはり「餅は餅屋」ということでしょうか。

2006年流行語大賞(その2)

「よろしかったでしょうか?」

(前回からの続き)

「最近の若者の言葉使いはなっとらん」とか「わけのわからん言葉を使っているので、言葉が乱れている」などと言い出したら、間違いなくその人はお年寄りの仲間入りをしたと言えるでしょう。前回お話したとおり、本来「言葉が乱れる」などということは「あり得ない」のです。

私自身、新しい言葉やおもしろい表現に出会うことが大好きなので、いつも出会うたびに楽しんでいます。ところがです・・・・・そう自分で言っておきながら、実は最近、私自身どうしても許せない「若者言葉」があります。残念ながら、私も年をとったのでしょうか?

今から3~4年ほど前、ある大手銀行のファームバンキングの新ソフトを導入した際、ユーザーサポートへ電話をしたことがあります。そのとき電話口から聞こえてきたのは、明るくかわいい若い女性の声でした。

女性:「画面右上に見える赤いボタンをクリックしていただいてよろしかったでしょうか?」

私:「はあ?・・・・赤いボタンをクリックしても大丈夫だったか、ということですか?」

女性:「いえ、お客様、クリックしていただいてもよろしかったでしょうか?」

私:「はあ?・・・・私が赤いボタンをクリックしておかなければならなかったのですか?」

女性:「いえ、クリックしていただいてよろしかったでしょうか?」

私:「私はこれからこの赤いボタンをクリックするのですね?」

女性:「はい、さようでございます」

このような奇妙な会話が何回か続いているうちに、電話口の向こうから聞こえてくる日本人の日本語が少しずつ理解できるようになりました。彼女は奇妙な過去形の日本語を連発してきたのですが、どうやら彼女自身、過去形を使うことが敬語であると勘違いしているようでした。

私:「将来この件でまた電話しましたが、よろしかったのでしょうか?」

女性:「?????」

私:「ユーザーサポートだったあなたの説明が理解できたことはありがたかったのでした」

女性:「?????」

最後になって私も少々彼女のことをからかってみたのですが、なぜ私がこんなことを言うのか、彼女にはぜんぜんわかっていなかったでしょう。

それからしばらく経ち、ちまたにはこの「奇妙な過去形言葉」が氾濫するようになりました。特に最近コンビニではよく聞きます。

「お客様、ドレッシングは別売りとなっておりますが、よろしかったでしょうか?」

「おつりは細かくなりますが、よろしかったでしょうか?」

ついでにもう一つ、最近よく聞く奇妙な若者言葉「~なくない?」

「これっておいしくなくない?」

「おいしいのか?おいしくないのか?はっきりせい!」と言いたいのですが、やっぱり私も年をとったのでしょうか?

(この項、終わり)

2006年 流行語大賞(その1)

イナバウアー、E電、武士の言葉

新しい言葉がどんどん生まれてくるということは、ある意味「自由と平和の象徴」とも言えます。戦争や大恐慌や恐怖政治の時代に、新しい言葉がつぎつぎと自由に生まれてくるわけがないからです。そういう意味では私たちはとても良い時代に生まれ育ったと言えるでしょう。

言葉を売るのが仕事である翻訳会社の社長としては、毎年恒例の「流行語大賞」はバカバカしいのですが、やはり気になるところです。「イナバウアー」と「品格」の2つが大賞をとったほか、「エロカッコイイ」「格差社会」「シンジラレナ~イ」「たらこ・たらこ」「ハンカチ王子」「脳トレ」「mixi」「メタボリックシンドローム」などが受賞したそうですが、「本当に流行したの?」と思える、ただの話題づくりを狙ったとしか思えないような言葉が受賞するのが、この賞の毎年の特徴でもあります。

よく「最近の日本は言葉が乱れている」と言う人たちがいます。たいていはご老人ですが、実はそれは言葉が乱れているのではなく、「そのご老人が新しい言葉についていけなくなっただけ」のことなのです。

昔、国鉄がJRに変わるとき、「国電」という呼び方をどう変えるかを国鉄の「お偉いさん」たちが多くの文化人(老人の学者達の中に確か小林亜星や黒柳徹子なども含まれていた記憶があります)や高級官僚を集め、議論を重ね、「E電」という呼び名を考え出しました。しかし、ご存知のとおり、「E電」など誰も使わず、結局いつのまにやら消えてなくなりました。

E電
<今も残る、蒲田駅の「E電」表示>

そうなのです、新しい言葉は、文化人やお役人が決めて下々へ与えるものではなく、自然発生した言葉が、大衆の間に定着し、やがて「日本語」として認知されていくものなのです。言語学者のやるべき仕事は、その言葉がどのくらいの割合で大衆の間に定着しているのかを調べ、ある一定基準を超えたら、辞書に載せるか載せないかを判断することだけで十分なのです。主導権は常に大衆にあり、学者は統計をとるだけの人でなければなりません。

「~という言葉の意味を全国の人に聞いてみたら、75%の人がその意味を取り違えていた」という新聞記事を見たことがあります。そこである言語学者が登場し、「この言葉の意味は、歴史的にみて~のような意味があり、正しくは~という意味である。最近の日本は言葉が本当に乱れている」とコメントしていました。

わたしから言わせれば、日本列島に住む日本民族の4分の3が現在使っている言葉と、ごく少数の老人学者が持つその言葉に対するイメージのどちらが正しいのかというと、私は明らかに前者だと考えます。

「東京大学」が「東大」、「原子力発電所」が「原発」、「ゲームセンター」が「ゲーセン」ならば、「携帯電話」は「ケイデン」でなければならないし、「コンビニエンスストアー」は「コンスト」でなければなりません。しかし、誰が何と言ったって、日本語では「ケータイ」と「コンビニ」が正解なのです。

「はじめまして、わたくし、山田太郎と申します。お会いできて大変光栄です」

おなじみ、現代日本のきまり文句ですが、この言葉を聞いた明治初期生まれの元武士は、昭和初期生まれの小僧をつかまえて、「正しい日本語を使え!」と怒ったことでしょう。当時の正しい日本語は知りませんが、イメージとしてはこんなものだったかもしれません。

「それがし儀、山田太郎にござ候。ご尊顔を拝したてまつり、恐悦至極に存じたてまつる」

(この項、次回へ続く)