トンネルの先は明るい

日経新聞の紙媒体に「大機小機」というコラムがあります。これは、「マーケット総合2」という比較的目立たないページにあるからでしょうか、いつもここでは率直な意見が述べられ、読んでいてとても興味深いと感じています。少なくとも「社説」や「特集」よりも記者が大胆に発言している気がします。

さて、本日(2008年10月31日)の「大機小機」には「トンネルの先は明るい」と題した、なかなか説得力のある前向きな意見が載っていました。

下記にその要旨をご紹介させていただきます。

(以下記事)

「最近、証券会社の店頭がにぎわっているようだ。口座を新規に開設する個人投資家も多いという。いわゆる専門家と称される人々が難しい顔をして思考停止に陥っているのとは対照的な動きだ。この行動は正解なのではないか。

(中略)

実体経済がどうなるかを考えるときに思い出すべきなのは、我々の記憶にある1980年代前半の『世界同時不況』だ。当時の不況の深刻さは、現在予測されている状況をはるかに超えていたのがわかる。

(以下の一部は私が箇条書きにまとめました)

・第二次石油ショックにより、欧米諸国が軒並みスタグフレーション(景気後退下の物価上昇)に陥り、深刻の度合いが増した。

・経済成長率は米国や英国など主要国でマイナスとなった。

・世界のGDPの70%を占めたOECD諸国全体でみても、82年にはマイナス成長を記録した。

・完全失業率は欧米主要国で10%を超え、先進国の失業者は3,000万人を上回った。

・インフレ率は日本以外の主要国で二ケタとなった。

・日本は欧米ほど失業率もインフレ率も上がらずに済んだが、戦後最長の不況を経験した。

・ほとんどの非産油途上国は成長へのきっかけもつかめないまま、累積債務の重みに押しつぶされようとしていた。

・まさに『大恐慌の再来』と言われたが、それでも米国を先導役にして世界経済は83年から回復を始めた。

それでは、今はどうか。いくつかの経済見通しが出ているが、当時ほどには深刻なシナリオは想定されていない。

(中略)

80年代と決定的に違うのは、中国やインドといった人口大国がしばらく前にテイクオフを果たし、しっかりした成長軌道に乗っているという明るい材料があることだ。

石油ショックに対して最も弱いといみられていた日本の企業は、80年代前半の同時不況後、省エネ技術とエレクトロニクス技術で世界をリードしたことは記憶に新しい。

経済史を正しく理解し、トンネルの先を冷静に見据えようではないか。」

(記事終わり)

私が翻訳業界に入った1981年4月は、まさにこの「世界同時不況」の真っ只中でした。

その後、1985年のプラザ合意後の円高ショックによる「円高不況」、1990年のバブル崩壊による壊滅的な「資産不況」、1997年の山一証券倒産パニックによる「平成不況」、2000年のITバブル崩壊による「IT企業不況」・・・・・・・。

思い返せば、「○○不況」といわれる時期が来るたびに、周りの競合他社が1社、2社、3社、4社・・・・・と勝手に脱落していきました。そして、気がついたら大手クライアントに入っているライバル企業の大半が消えてなくなり、やがて迎える景気回復時の仕事が、随分とやりやすくなっていたことが思い出されます。

経営者にとって、会社を成長させる「企業戦略」を持つことはもちろん重要ですが、同時にサバイバルゲームに勝ち残る「企業体力」を充実させる責務もあることは言うまでもありません。