1964年の東京オリンピック

いよいよ2020年のオリンピック開催地が明後日、9月8日の朝に決まります。

56年ぶりに東京になるのか?

イスラム圏初、トルコのイスタンブールとなるのか?

それともヨーロッパ経済危機に揺れるスペイン、マドリッドとなるのか?

大変興味深いところです。

たまたま偶然ではありますが、1964年の東京オリンピック開会式の日(10月10日)はジェスコーポレーションの設立の日と重なり、その後長きにわたり「体育の日」として祝日となりました。

東京オリンピック

この年、私は小学校1年生(7歳)でしたが、粗末なモノクロテレビで興奮しながら見たいくつかの映像を覚えています。

東京オリンピックで日本人初の金メダルとなった重量挙げ金メダルの三宅義信選手には、なんだかわからないけどすごいことになってるんだな、という気持ちでながめていたのを覚えています。

三宅 義信

東洋の魔女と呼ばれた女子バレーが金メダルをとった時も興奮しました。ソ連女子の強烈なスパイクを「回転レシーブ」でとりまくる日本女子の姿に手に汗を握りながら応援した記憶があります。

東洋の魔女

日本人選手が大活躍した男子体操も興奮しながら見たのですが、当時日本でもかなり人気となったチェコスロバキアのチャスラフスカ選手(女子総合金メダル)のことも覚えています。今こうして当時の写真を見ていると昔の女子体操選手は、今に比べればずいぶんと女性らしい体型をしていたということがわかります。

チャスラフスカ

オランダのヘーシンクに敗れた日本柔道が、テレビで大騒ぎされていた時のことも覚えていますが、オリンピック最終日に行われた男子マラソンもとても記憶に残っています。

前回のローマオリンピックに続いて東京オリンピックでも金メダルをとったエチオピアの英雄アベベの余裕の走りは、子供心にも驚きを隠せませんでした。

しかし、私にとって東京オリンピックでの最大の興奮は、なんと言っても円谷幸吉選手の最後の1,000mでした。

国立競技場に2位で入ってきた円谷は 、後ろから迫り来るイギリスの選手ヒートリーを振り切ろうと必死になって走ります。しかし、ついにゴールのわずか200メートルほど手前で力つき、無残にも追い越されてしまいました。

子供にとってもなんともわかりやすい展開なので、強く記憶に残っていたのでしょう。

円谷幸吉

最後に東京オリンピックでのメダルTOP10を掲載しておきます。

大国、アメリカ、ソビエトに次いで日本の金メダル数は第3位だったのですね。そして敗戦国日本とドイツの躍進にも目を見張るものがあります。

国  名  金  銀  銅  合計
1  アメリカ合衆国 36 26 28 90
 2  ソビエト連邦 30 31 35 96
 3  日  本 16 5 8 29
 4 東西ドイツ 10 22 18 50
 5  イタリア 10 10 7 27
 6  ハンガリー 10 7 5 22
 7  ポーランド 7 6 10 23
 8  オーストラリア  6 2 10 18
 9  チェコスロバキア 5 6 3 14
 10 イギリス 4 12 2 18

その後、すっかりスポーツ後進国となってしまった日本ですが、経済だけでなく、スポーツの方も大いなる復活を期待しています。