この「しずおか世界翻訳コンクール」については、昨年度もこのブログの中でとりあげたことがあります。毎年今頃の季節になると、豪華な「応募要綱」と「あらまし」と「ポスター」が弊社にも送られてきます。
本コンクールへ情熱をそそぐ、静岡県関係者の日本文化へ対する”誇り”や”使命感”をおおいに感じます。このような企画を”日本国”でもなく、”東京都”でもなく、一地方都市である”静岡県”が行うところに大きな意義と驚きがあるからです。
しかし、なぜかこの「しずおか世界翻訳コンクール」に関するWeb情報は少なく(別の言い方をすると、ホームページが充実していなく)、毎年送られてくる豪華な冊子に詳細情報が書かれています。
下記にその冊子「あらまし」からの情報をご紹介します。
<まえがき>から一部抜粋
経済の海外進出には積極的で日本製品のブランド名は知られるようになりましたが、同様に日本の”心”が知られているわけではありません。ましてや、文化のうちで重要な位置を占める文学は、あきらかに輸入超過の状況です。
<翻訳コンクール企画委員長 大岡信 (詩人、日本芸術院会員)>からのコメント一部抜粋。
静岡県教育委員会からこのコンクールについて初めて相談を受けたとき、私は正直なところびっくりしました。こんなことを考えつくこと自体、現代日本ではまさに夢物語だろうと思ったからです。しかし静岡県は本気でした。
それなら、世界の人々に対して開かれた、質量ともどこへ持ち出しても恥ずかしくないコンクールにしようと念願して、現在のような案が成立しました。
<翻訳コンクール審査委員長 ドナルド・キーン (コロンビア大学名誉教授)>
日本文学を海外で知って貰いたいという声が絶えません。或いは、訳者たちの選んだ作品は古典的であって現代の日本文学を十分反映していないという非難があります。これらの文句に十分意味がありますが、日本文学の若い訳者を育てることがどんなに難しいか斟酌していないように思われます。
外国人として日本語を覚えることは実に難しいです。一応、新聞を読めるようになっても文学をなかなか理解できないことが多いです。
また、文学の翻訳がやりたい人は大学の教師なら、翻訳の業績によって昇格することはまずないと諦めて、論文を書くことがよくあります。しかも、仮に翻訳が本になっても収入が芳しくないことは覚悟しなければなりません。それにもかかわらず日本文学の翻訳を是非やりたいという人がいますので、このコンクールは最高にありがたいものです。若い翻訳家に何よりの刺激を与えて、翻訳という、人間に不可欠な仕事の重要性と有り難さを教えるでしょう。
(以上で引用終わり)
上記それぞれのコメントは、たいへん意義深いものだと思います。ただあえてひとつ私からこのコンクール主催者へ注文をつけるとしたら、やはりWeb情報の充実というところでしょうか。21世紀のコンクールには不可欠な要素ですから。