和文ワードプロセッサー専用機
1982年、和文ワードプロセッサーを購入しました。キヤノンのキヤノワードというワープロ専用機で、現在の複合機ほどの大きさがありました。これはローマ字入力で日本語を入力できるという点において、従来の和文タイプライターや写植機とは比べようもないほど使いやすい商品でした。買った当初このキヤノワードは330万円もしたのですが、半年後に半額になり、そのまた半年後に100万円を切りました。
その後しばらくして業務用ワープロでもっともシェアを持っていた富士通のOASYSを購入したのですが、1980年代なかば頃になると日本中の電機メーカーはどこもかしこも和文ワープロ専用機を売り出していました。そしてあっと言う間に30万円を切り、それを契機に一般家庭にも一気に普及し始めました。
パソコンのワープロソフト
1980年代なかば、和文ワープロ専用機と共に大量に世に出回り始めたのが、NECのPC-9800シリーズ、いわゆるPC98と言われるパソコンでした。「ピーシーキューハチ」もしくは単に「キューハチ」と呼ばれ、多くの日本人に親しまれました。一時期は日本のパソコンシェアの過半数を優に超す「伝説の国民機」でした。
その伝説の国民機に搭載され、一時期一世を風靡した日本語ワープロソフトが、ジャストシステムの一太郎でした。
PC-98に一太郎を搭載すれば、パソコンとして表計算ソフトや経理ソフトその他、パソコン本来の機能を使え、かつワープロとしても使えるということで徐々に世の中に浸透しはじめました。
しかし、その後すぐにマイクロソフトが独自のワープロソフト、MS-Wordの日本語機能を強化し、他製品との抱き合わせ販売などで大攻勢をかけたため、日本語ワープロソフトのシェアは一気にMS-Wordへと傾いたのでした。
両者の戦いは1990年代なかばにはほぼ決着がつき、ワープロソフトのシェアではMS-Wordが一太郎その他を圧倒し現在に至っています。同時に日本の電機メーカーが販売していたOASYSなどの日本語ワープロ専用機もほぼ時期を同じくして市場から消え去っていきました。
このように英文ワープロ専用機と和文ワープロ専用機がパソコン用のワープロソフトへ収斂し、一太郎はじめ数多くのワープロソフトもMS-Wordへと収斂し現在に至っています(ただし、一太郎は現在でも販売され頑張ってはいますが・・・)。
以上、ここまでわが業界におけるワープロ変遷の一部をご紹介させていただきましたが、DTPに関しては、また次回以降述べさせていただこうと思います。
(この項続く)