JES History
2006年2月から4月にかけblogで連載したJES Historyの保存版です。 |
第2回 | パンナムでのランチタイム |
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第2回 | パンナムでのランチタイム |
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<2006/2/28> | ||
父はそれまでに幾度となく、ランチタイムにアメリカ人マネージャー達が何かを回覧してクスクス、クスクス笑っている光景を目にしました。回覧物を覗いてみるとそれはたいていの場合、日本語から英語へ翻訳された取扱説明書やパンフレットの類でした。 彼らからみれば吹き出してしまうような英語があまりにも多く記載されていたからです。しかもそれらはどれも日本の一流大企業の製品に添付されている文書ばかりでした。 「おい、今日はこんな面白い表現を見つけたぞ」 「これって英語なの?」 「よくこんなものを印刷して外へ出せるな」 「これで本当に製品が売れると思っているのか?」 「根本的にこれは何を言いたいんだ?」等々。 そこで父は確信したのでした「英語と技術の両方に堪能な翻訳者がいれば、必ず仕事の需要がある。パンナムを辞め、独立して一流の技術翻訳者になろう」。 会社の同僚、友人、親戚たちにその話を相談すると返ってくる答えはすべて同じでした。 「大企業には優秀な人間が沢山いて、英語のできる人間も沢山いる。一時的に翻訳の仕事が来たとしても、そんなものが継続するわけがない」 「君も現在35歳で妻子4人の扶養家族がいるんだろ、独立なんてバカな考えはやめろ、やめろ」 「パンナムみたいな一流企業を辞めてそんな不安定な仕事を始めるなんて馬鹿げている」 「だいたい翻訳で飯食っている人間なんて世の中に一人もいないじゃないか」等々でした。 当時翻訳といえば大学の先生方のアルバイトと、誰もが考えていた時代でした。 ちなみに上記にある扶養家族4人とは、母、姉2人と私の4人のことですが、父が会社を辞めて2年後には私より10歳年下の弟が生まれたので、扶養家族は5人になりました。 また、パンナムはその後1985(昭和60)年に日本市場から撤退し、ユナイテッド航空に吸収されましたが、父がいた当時はまだ誰もがうらやむ一流企業だったのです。 それでも父はパンナムを辞め、技術翻訳業を開始しました。1964(昭和39)年3月のことでした。 |
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