第76回 抗菌薬と薬の歴史(前編)
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<質問>
本羅先生、こんにちは。この間、いつも元気いっぱいの祖母が、何年ぶりか分からないほど久しぶりに風邪気味で、まさか新型コロナに感染したか、いや百日咳か!?と、慌てて病院に連れて行きました。幸いにも色んな検査は全て陰性で、ただの風邪だったようです。ホッとしました。
処方箋をいただいて、薬局に立ち寄った帰り、どうも祖母がプリプリと怒っていて、「どうしたの?嫌なことあった?」と尋ねると、
「なんだい、あの病院の先生は。薬を出すのをケチってんじゃないかねぇ。全然、少ないよ。ほら、抗生物質とかさ、解熱剤とかさ、何もないじゃない。昔は、もっといっぱい薬を貰ったのよ?」
と、まくし立てました。私が、
「えぇ、何それ!? おばあちゃん、そもそも、そんなに熱は高くないよね(苦笑)。薬もタダじゃないんだし、飲まずに済むなら、その方が良くない? 」
と答えたのですが、イマイチ納得いかないようで、ブツブツ言いながら帰宅しました。ていうか、おばあちゃんの若い頃は、風邪くらいで、そんなに、お薬たくさん出ていたんですかねぇ……。むしろ私は、あまり飲みたくないのですけど。
そういえば、本羅先生はコラムでお薬の飲み方を注意されていましたね(第74回)。お薬の話、もう少し詳しく聞いてもいいですか?(東京都 I.K.)
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<回答> I.K.さん、ご質問ありがとうございます。おばあ様、酷い病気でなくて何よりでした。あまり発熱していないとのことですが、まだまだ暑い日が続いていますし、脱水に気を付けて、マメな給水を心がけてください。くれぐれも、エアコンを切って暑さを我慢するようなことはせず、かと言って、身体を冷やし過ぎず、快適な室温で安静になさってください。すでに病院の先生から、お聞きになっているとは思いますが……。
ちなみに、無料の意味で使う「ただ」は、漢字で書くと「只」。元々は「たった一つの/そのままの」という意味です。「ただ~するだけ」という使い方の内、「ただ」モノを貰うだけ、「ただ」食事をするだけ、という「料金を払わない状況」が語源になっているようです。俗に「ロハ」とも言いますが、これは漢字を分解して片仮名で読んだわけですね。
風邪薬と対処療法
ところで、おばあ様のご機嫌が斜めになってしまった「風邪薬」についてですが、そもそも風邪(普通感冒(かんぼう)、かぜ症候群)には、特別な治療法がなく、基本的には、対症療法(symptomatic therapy)として「服薬」「滋養」「安静」で体力を回復するしかありません。
改めて、対症療法とは「疾病に伴う多様な症状の緩和処置」であり「病因の治療」ではありません。風邪の諸症状には、発熱/頭痛/炎症などを抑える解熱鎮痛剤(Antipyretic analgesic)、くしゃみ/鼻水を抑える抗ヒスタミン剤(antihistamine agent)、咳を止める鎮咳剤(antitussive medicine, ちんがいざい)、痰の排泄を促す去痰剤(expectorant, きょたんざい)、それらを補佐して呼吸を楽にする気管支拡張剤(bronchodilator)が処方されます。これらの各薬剤を配合し、1つにまとめた医薬品が総合感冒薬(general-purpose cold medicine / multi-ingredient cold medication
/ combination cold remedy)です。
おそらく今回、おばあ様への処方は、総合感冒薬だけだったのではないでしょうか。それで足りるくらいに症状が軽いと、診断されたのでしょう。
6年前の本コラム第7回で説明したように、風邪の原因は、ウイルスです。おそらく、おばあ様は「抗生物質は細菌に作用する薬で、ウイルスに効かないため、風邪薬に使わない」ことをご存じないのかもしれません。ただし、おばあ様が存じ上げないことは、やむを得ない面もあります。実は、かつて一部の医師が「細菌の二次感染(注1)を防ぐ」という名目で、風邪の患者に無意味な抗生物質を気軽に処方していたのです。
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(注1) |
二次感染(secondary infection):
ある疾病による体力低下などで、その疾病と直接には無関係な病原体に感染すること。 |
後述しますが、公衆衛生を害する愚かしい行為です。一部とはいえ医師がこうでしたから、おばあ様を含め、一般の方では、なおさらでしょう。
人類と薬の出会い ― 霊長類にも見られる“自己治療”
そもそも素朴な意味で、私たち人類は、どのように薬と付き合ってきたのでしょうか。それこそ、医学/薬学という言葉どころか、何も無かった、遥か悠久の彼方。もしかすると、学名ホモ・サピエンス(Homo sapiens /ラテン語で「賢いヒト」)と呼ばれる存在に進化する前から、私たちは、薬と共に存在していたのかもしれません。
なんだ、なんだ?!そんなファンタジー(fantasy, 幻想的、超自然的)めいた話を始められても困るぞ、と訝しがる(いぶかしがる)のは、少しお待ちを。
実は、チンパンジー(Chimpanzee /学名:Pan troglodytes)やオランウータン(Orangutan /学名:Pongo)、アカコロブス(Red colobus /学名:Procolobus badius)といった、現代におけるヒト以外の霊長類が、食用とは別の植物を薬っぽく摂取しているのです。たとえば、体調不良(腹痛 / 食欲不振 / 下痢・便秘)のとき、いつも滞在している果樹の上から、わざわざ離れ、普段は見向きもしない草木を探して口にすることもありますし、怪我の治りが遅いときには、また別の草木を噛み、汁を指に取って膿んだ傷口に塗るというのです。
面白いことに、いつもなら満足そうに食べる表情が、薬用植物をモグモグしながら明らかに嫌そうな顔をしています。まさに「良薬口に苦し」でしょうか。ちなみに、英語でも”Good
medicine tastes bitter.”と言いますね。洋の東西を問わず、全く同じフレーズ(phrase)で、かつ同じ「忠言/諫言の比喩(ひゆ)」であることに、少し驚きます。
古代中国の医薬と「本草学」の誕生
閑話休題。賢いおサルさんに出来ることですから、万物の霊長(the lord of creation)たるヒトも負けてはいません。アレコレと口にしては、試行錯誤してきたのでしょう。
1~2世紀に編纂(へんさん)された、現存する中国最古の本草書(医薬品の解説書)である「神農本草経」、この本に冠せられる「神農(注2)」は、医/薬/農/商を人々に伝えた神様だそう。伝説では、あらゆる本草(注3)を口にして、自身の身体で薬効と毒性を試したとか。なんと身体を張った神様でしょう。
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(注2) |
神農:古代中国の神話時代における8人の帝王、三皇五帝(さんこうごてい)の一人。雄牛の角を持つ人の姿で「炎帝(えんてい)」「薬王大帝(やくおうたいてい)」「五穀仙帝(ごこくせんてい)」とも。医薬品と農耕、商業と交易を伝えた。三皇は、神農の他、以下の2人。※諸説あり
〇伏羲(ふくぎ/ふっき/ふぎ):
太皞(たいこう)とも。姿は蛇身人首。陰陽/虚実/表裏(内外)の組合せ8種(2の3乗)で天地自然を象る(かたどる)八卦(はっけ)を描き、人間に文字と漁業を伝えた。
〇女媧(じょか):
伏羲の妹または配偶者たる蛇身人首の女神。泥を捏(こ)ねて人間を作り、婚姻と音楽を伝えた。
伏羲と女媧の後を神農が統治し、続く五帝は、以下とされる。※諸説あり
〇黄帝(こうてい):
三皇の後を継ぎ、中国を統一した初めての皇帝。雷神であり、東洋医学の祖。
〇顓頊(せんぎょく):
黄帝の孫。人と神の直接交流を禁じ(神官の制定)、祭祀の濫用を諫(いさ)め、王権を正当化した(中央集権化)。
〇嚳(こく):
黄帝の曾孫(ひまご)。生後すぐに自分の名前が言えるほど聡明で、徳が高く、治世にも優れた。
〇堯(ぎょう):
嚳の次男。長男「摯(し)」の早世で後継に。人徳者で知啓に優れ、後継への帝位禅譲から、儒学で聖人と称(たた)えられた。
〇舜(しゅん):
顓頊の六代子孫。孝(親や目上を敬う心)と徳が高く「周りに人が集まり、皆が良くなる」と名声を得、堯から摂政に登用されて治水に活躍(黄河の氾濫を鎮めた)。堯から帝位を禅譲され、自らも後進に禅譲した。儒学では「堯舜」と並べ、聖人と崇(あが)められた。 |
(注3) |
本草学:
東アジアにおける医薬品の学問。「本草」は「草石の根本」の意で、「方術」を駆使する「方士(後に、道教の道士)」の用語。「植物」の他に「動物/鉱物」も含む、医薬品の原料。「方術」は、古代中国におけるオカルト(occult)的な知識や技術(祭祀/祈祷/呪術/占術)のこと。ちなみに「オカルト」はラテン語「隠された知(occulta)」に由来し、神秘学や神秘思想、秘教、魔術など超自然現象の研究と実践の意。つまり「方士」は西欧における「錬金術師(alchemist, 後述)」や「魔術師(wizard)」に近く、一部に近代科学(物理/化学/天文学)と結びつく。ただし現代日本における「オカルト」は、児童書/雑誌記事の用語で「怪奇/異様/神秘/空想/超古代文明や偽史/宇宙人やUFO」と、雑多で曖昧模糊(あいまいもこ)な言葉になった。 |
日本への伝来と本草学の展開
様々な本草書は、奈良時代以降の日本に、遣隋使や遣唐使、後には商船を通じて各時代に輸入されました。もちろん医薬品の解説という実用もさることながら、むしろ百科事典や図鑑のようにも扱われました。つまり、日本における本草学は、西欧で言う博物学(Natural history, 本コラム第65回参照)に近く、広い意味での自然科学だったのです。ちなみに、本草学における動物の分類は、大きく「人間」「獣」「鳥」「魚」と「虫」で、「虫」には「昆虫」の他、「爬虫類」「両生類」「甲殻類」が含まれます。実は、ヘビ(蛇)/カエル(蛙)/エビ(蝦)/カニ(蟹)など、動物を意味する漢字の部首に「虫」が多く使われるのは、本草学の分類に由来するのです。
ブランド志向(brand consciousness)が強い、貴族中心の平安時代までは、海外(主に「唐」)の知識が重用されました。日本で、中国の方士に相当するのは、陰陽師(おんみょうじ)。医師や薬師と並び、宮廷における重要で特殊な役職です。映画や小説などの題材としても有名ですね。個人的には大好きな話題ですが、本題から外れるので、ここでは掘り下げません。
日本の医学と薬学は、遣唐使の廃止された室町時代(武士中心)から、わが国の風土や気候に合わせて工夫されるようになったと思われます。
漢方薬とその注意点
時を経て、江戸時代。オランダを通じた西欧の学問/文化、「蘭学」が広まり、本格的に西欧の医学(蘭方)と博物学が流入して、本草学と混交します。それに呼応して、伝統的な「日本独自の医学」は「漢方」と呼ぶようになりました。意外かもしれませんが、漢方は、「伝統」というには新しい、江戸時代にできた言葉で、漢方薬も、実は日本で独自に発展した医薬品なのです。確かに起源は同じ古代中国ながら、漢方は、中医学(中国)や韓医学(韓国)と異なる医学体系です。もちろん、生薬(漢方薬の薬効成分)の配合も中医/韓医とは異なります。ついでながら「民間薬」も漢方薬とは別です。室町時代から僧医などを通じて広まりました。実は江戸時代に、水戸黄門こと、徳川光圀(みつくに)公の勅命で、書籍「救民妙薬(きゅうみんみょうやく)」にまとめられています。
いずれ「現代の医薬品より安全」と思われるかもしれませんが、薬である以上、漢方薬にも副作用は必ずあります。近年、特に美容関係で「手軽で安心/すぐに効く」とインターネットで広告される漢方薬が出回りますが、診察も無く専門医から処方されない、特定の効能を標榜する薬は、基本的に毒と同じです。安易に服用するのは危険です。お気をつけください。
先史時代の外科治療と医薬の痕跡
さて、人類と薬に話を戻して、遠い過去へと目を凝らせば、フランスで発掘された、紀元前7000年(新石器時代)の遺跡から、農民の左前腕切断手術跡が発見されたと2007年に報告がありますし、2022年には、なんと3万年以上も昔を生きたボルネオ島(インドネシア)の若者が、左脚を1/3も外科的に切断して10年近く生存していたとの発掘研究が、世界的な論文誌”Nature”に掲載されました。
3万年前ともなれば、刃物と言っても、鉄や青銅すら無く、せいぜい磨製石器(注4)で、広大な草原で巨大なマンモス(mammoth)と戦う時代。しかも、場所が熱帯雨林気候です。現代でも切り傷からの感染症が問題となる、草木の鬱蒼と生い茂る蒸し暑い地域で、そこまで高度な外科治療ができるとは! 高度に医術/薬物を使いこなしていたであろうことに戦慄します。
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(注4) |
磨製石器(polished stone tool):
石材を叩く/打つ/剥がすなどして作成した打製石器(Lithic reduction)の刃を、さらに砂や他の石で研磨した石器。石材の緻密さに比例して、表面は滑らかで鋭利になる。動物手術の実験で、黒曜石の打製石器は現代医療のメスより鋭く、治癒が早いとの報告がある。 |
ここからは、歴史に沿って、人類の文明と薬の関わりを順に見ていきましょう。
古代文明と医薬の発展
人類最古と称される「古代メソポタミア文明(注5)」の遺跡からは、すでに薬局が確認でき、紀元前2000年頃に刻まれた楔形文字(注6)の文書には、動植物や鉱物を素材とする医薬品の調剤と処方が多く記載されています。また「古代エジプト文明(注7)」の様々なパピルス(注8)に記載される、同様の医薬に関する記述は、紀元前3000年に遡ります。
一方、紀元前2600年に栄えたインダス文明(注10)は、公共浴場や排水システムの整った、公衆衛生が強く意識された都市計画で知られていますし、紀元前1000~500年にはインドの伝統医学「アーユルヴェーダ(注11)」が編纂されました。「アーユル(Ayus)」は、サンスクリット語(注12)で「寿命/生気/生命」を意味し、「ヴェーダ(veda)」は「知識」を意味するバラモン教の経典/文献です。複合語「アーユルヴェーダ」を今風に訳せば「生命科学」でしょうか。伝統医学とはいえ、内科/外科の他、今でいうアンチエイジング(anti-aging, 抗加齢)や予防医学(preventive medicine)に類する考え方まで含む、驚きの医学体系です。もちろん医薬品とする動植物や鉱物の記述も多く、扱う薬草だけで数千種類。投与する患者に合わせ、薬を溶かす液体(茶/乳/油脂/酒)や剤型(錠剤/丸薬/粉末)を変えることが特徴です。
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(注5) |
古代メソポタミア文明(Ancient Mesopotamia):
「メソポタミア」は「川と川の間」の意。現在のイラク/シリア東部/イラン南西部。西の「ユーフラテス川(Euphrates)」と東の「ティグリス川(Tigris)」に挟まれた湿地帯で、河川の下流に堆積した栄養豊富な土壌が広がる平野部。紀元前7000年頃に始まる、定住農耕を中心とした、世界最古の文明社会。メソポタミアの北部は「アッシリア(Assyria)」、南部は「バビロニア(Babylonia)」、さらにバビロニアの北半分は「アッカド(Akkad)」、南半分は「シュメール(Sumer)」と呼ばれる。紀元前5000年頃、シュメール人が定住規模を拡大し、灌漑農業と都市の形成を進め、紀元前2300年頃にアッカド人が領域の都市を統一し、アッカド王国を建国。その後、様々な民族による群雄割拠を繰り返し、最終的に、紀元前400年頃、アレキサンダー大王(後述)の東方遠征で独立性を失った。 |
(注6) |
楔形文字(cuneiform, くさびがたもじ):
葦(reed, アシ/ヨシ:河川や湖沼の水際に生えるイネ科多年草)を削ったペンで粘土板に刻まれた、史上最古の文字の一つ。紀元前3200年頃にシュメール人が、絵文字や象形文字(注9)を楔形の組合せに単純化/抽象化し、各地に広まった。現代西欧諸国の言語が同じアルファベットを使うように、楔形文字も、各国/社会毎に言語体系は異なる。ちなみに葦の和名だが、元の読み「アシ」は「悪し」に通じると嫌われ、「ヨシ(良し)」に言い換えられた。 |
(注7) |
古代エジプト文明(Ancient Egypt):
定期的に氾濫するナイル川(the Nile)流域の、砂漠とはいえ比較的肥沃な土地で、紀元前5000年以降に始まった文明社会。農耕の開始こそメソポタミアに遅れたが、統一国家(王朝)の成立は紀元前3100年頃と、むしろエジプトの方が早かった。その後、周辺国家からの支配を繰り返されるも、地理的な優位性から、比較的安定に独自文化を維持。アレキサンダー大王の東方遠征以降、ギリシア系の支配を経て、紀元前31年、古代ローマ(後述)に征服されて王朝が途絶した。 |
(注8) |
パピルス(Papyrus):
古代エジプトで使用された、文字を記録する媒体の名称、かつ記録された文献の総称。高さ2mほどの水草「カミガヤツリ(Cyperus papyrus, 紙蚊帳吊/紙葦(かみい))」の茎(繊維)が素材。パピルス紙とも。欧州言語における「紙(英:paper)」の語源だが、製法が違うので厳密には「紙」ではない。「紙」は、植物繊維の破砕/分散/膠着(こうちゃく)で成型するが、「パピルス」は、カミガヤツリの茎から長細い繊維を剥(は)ぎ、水中で膨潤(ぼうじゅん)/発酵させ、直交に並べて布に挟み、強打/脱水して圧着成型する。 |
(注9) |
象形文字(Hieroglyph):
古代に「絵文字」から変化した、事物の形を象(かたど)り、点/線を組合せた文字の体系。一般に、絵文字は、象徴的に「事物そのもの」を示唆する「絵」で、現代の「画像記号(pictogram)/図記号(graphical
symbol)/絵で表す標識(glyph)」などに相当。対して、象形文字は「表語文字(logogram)」の1種で、「文字1つ」が「文」を構成する「語」であり、言語表現に意味をもつ最小単位の「形態素(morpheme)」である。エジプト文明の「ヒエログリフ(Egyptian
hieroglyphs, 石に刻む神聖文字)」「ヒエラティック(Hieratic, 神官文字:ヒエログリフの筆記体)」「デモティック(Demotic,
民衆文字:ヒエラティックを簡略化した崩し字)」、メソポタミア文明の「楔形文字(注6)」、中国や日本の「漢字」が代表的。ちなみに、1つの文字が、意味を持つ音の最小単位「音素(phoneme)/音節(syllable)」を表す文字体系を「表音文字(phonogram)」、事物の「意味(meaning)/概念(concept)」を表す文字体系を「表意文字(ideogram)」という。ヒエログリフや楔形文字、漢字は、使われ方によって「表語文字」であり、「表音文字」かつ「表意文字」でもある。また、アルファベット(alphabet)や、仮名(ひらがな/カタカナ)は「表音文字」であり、数学記号(+,-,×,÷など)やアラビア数字(Arabic
numerals)は各国で表記は変わらないが発音の異なる「表意文字」である。 |
(注10) |
インダス文明(Indus Valley Civilisation):
インド/バングラデシュ/パキスタン/ネパール/ブータンなどを含むインド亜大陸(Indian subcontinent)の主要河川である「インダス川(Indus River)」と、現在は涸れ川(かれがわ)であり、雨期のみ水の流れる「ガッガル・ハークラー川(Ghaggar-Hakra River)」に沿った文明社会で、上述諸国の先史文明。紀元前7000年頃、遊牧民の定住による農耕/牧畜に始まる。紀元前3000年頃に集落を拡張し文明化、紀元前2600年頃に極めて整然とした計画都市を構築、メソポタミアと貿易するほど繁栄。紀元前1800年頃に衰退(原因不明)、ヒマラヤ山脈(Himalayan Range)南側のガンジス川(the Ganges)流域に移動した。王宮や神殿を持たず、強い王権の痕跡が不明瞭で、他の古代文明と際立って異なる。 |
(注11) |
アーユルヴェーダ(Ayurveda):
バラモン教(Brahmanism)とヒンドゥー教(Hinduism)の聖典であるヴェーダ(veda)文献から、生命に関する知識を編集した教典群。インドの古典的な医学書全般と、それに基づく医学の体系。 |
(注12) |
サンスクリット語(Sanskrit):
インド亜大陸の古代言語。ヒンドゥー教の創造神「ブラフマー(Brahma)」の託宣であるヴェーダ文献の言語体系。「サンスクリット」は「正しく構成された(言葉)」の意。現代では母語話者(native
speaker)は少ないが、インドの公用語の1つであり(注13)、かつヒンドゥー教の礼拝用言語。古くから、文学/哲学/学術/宗教など諸分野で使用、特に大乗仏教の教典は、多くがサンスクリット語で記載。ちなみに、漢字文化圏では、ブラフマーの漢訳「梵(ぼん)」を当て、サンスクリット語を「梵語」、表記するブラーフミー文字(Brāhmī
script)を「梵字」と異称し、漢訳の仏教経典を通じて使用した。 |
(注13) |
インドの公用語:
2025年時点で、インド憲法における公用語(公的共通語/正式な「国語」)は「ヒンディー語(Hindi)」であり、英語を準公用語に規定。サンスクリット語は、憲法第8附則における22の指定言語の1つで、厳密な意味の「公用語」ではない。 |
ギリシア・ローマの医学 ― ヒポクラテスからガレノスへ
メソポタミアから西に目を向けると、地中海東岸のエーゲ海(Aegean Sea)では、古代エジプト文明の影響を受けた、古代ギリシア文明(注14)が開花しました。ここで、ようやく現代につながる扉が開きます。「医学の父」ヒポクラテス(Hippocrates)の登場です。とはいえ、紀元前4世紀と、少し後の時代ですが。
ここまで人類は様々に薬を使ってきましたが、実際の医術としては、宗教にまつわる祈祷(きとう)/呪術/迷信の延長に過ぎない面が多々ありました。そこから現代の「医学」に道を切り拓(ひら)いたのがヒポクラテスです。疾病を生物学的な過程と考え、患者の臨床症状と経過観察を重視し、自然治癒力の棄損を避け、回復を促すことを基本とする医術でした。
昔から知られる薬の多くは経験的に選抜され、数百程度に整理されました。ただし、当時のギリシアでは遺体の解剖は忌避/禁止され、人体の解剖学的/生理学的な知識の正確さは望むべくもありません。呪術や迷信からは開放されましたが、「血液/粘液/黄胆汁/黒胆汁の不調和が疾病」という四体液説(humorism)に沿った診断のため、一定の治療効果は認めつつ、現代の医療とは程遠いものです。
しかしながら、当時、最先端の医学です。ヒポクラテスの影響は強く、後進の教育に熱心だったこともあり、多くの弟子が育ちました。
時代が、古代ローマ(注16)に移っても、文化的には、ずっと古代ギリシアが優勢でした。当時の世界、全体の文化を融合していますからね。実際、西暦1世紀頃のローマ皇帝に仕えた、「薬理学と薬草学の父」ペダニオス・ディオスコリデス(Pedanius
Dioscorides)は、今でいうトルコ南部の出身ですが、19世紀まで西欧/イスラム世界で基本かつ最重要な薬学文献となる名著「薬物誌(ラテン語:De
materia medica, デ・マテリア・メディカ)」をギリシア語で執筆しています。
古代ローマで最も偉大な医師の一人である、西暦2~3世紀のガレノス(Galen, ラテン語:Galenus)もギリシア語で話し、執筆しました。彼は外科医として、剣闘士(Gladiator, 剣奴:見世物として戦う奴隷/相手は猛獣や奴隷同士)養成所で負傷者の治療から人体の仕組みを学び、動物を解剖して研究しました。特定の学派に属さず、古代ギリシアの医学を体系的にまとめ、特に、ヒポクラテスの医学とペダニオスの「薬物誌」を高く評価し、後の世に繋げました。
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(注14) |
古代ギリシア文明(Ancient Greece):
西欧文明の起源の一つ。「ギリシア/ギリシャ/ギリシヤ」の表記揺れがあるが、本コラムでは「ギリシア」に統一。ギリシア語で「エーゲ海」は「最初の海(アーキペラゴ, Arkhipélagos(ラテン語表記))」と言うが、この語に由来する英単語”archipelago”が「多数の島/諸島/列島/群島」を意味するように、エーゲ海には島が多く(大小400ほど)、紀元前3000年頃から海運で各島々が栄えた。紀元前2000年頃、沿岸部からギリシア本土に定住を進めるも、山地が多く平地が少ないため、先行する文明に影響されつつ大国にはならず、沿岸/諸島/本土に小王国が分立した。紀元前1200年頃、詳細不明の大規模な社会変動で、文字が失われる程に文明が停滞したが、紀元前800年頃から、大小200ほどのポリス(Polis)と呼ばれる都市国家(city-state)として復活。この時期、古代文字(子音のみの書き言葉)がアルファベット(母音を加えた話し言葉)に改良され、神官の独占する「文字」が民衆の手に渡ることで、宮殿中心の官僚主義社会から、アゴラ(Agora, 公共広場/総会議場/市場)での市民による直接民主制に、政治体制が変貌した。影響は地中海全体に及び、紀元前334年に始まるアレキサンダー大王(注15)の東方遠征でインド北西まで拡張するも、彼の死後に後継者争いで分裂、紀元前215~167年、古代ローマ(注16)に敗れて分割/属国化した。独立を維持した各ポリスも勢いを失い、古代ローマの一地方となった。 |
(注15) |
アレキサンダー大王(Alexander the Great):
古代ギリシアのマケドニア王国君主。ギリシアでの正式名は、アレクサンドロス3世(AléxandrosⅢ)。ドイツ風ではアレクザンダー(Alexander)、アラビア/トルコ風ではイスカンダル(Iskandar)と表記。ギリシア/非ギリシア双方の歴史や神話に登場する。ギリシア神話の英雄を祖先とする(父方:ヘラクレス(Heracles), 母方:アキレス(Achilles))、ギリシアでは最高の家柄に生まれ、西洋最大の哲学者の1人「万学の祖」アリストテレス(Aristotle)を師とする戦略/戦術の天才。父王が暗殺されて20歳で王位継承、2年後から東方遠征を開始。当時のギリシアにおける主な世界(ギリシア/エジプト/メソポタミア/ペルシア/インド)を10年で統一支配した。インド北西で遠征を中断(部下の要請)、統一王国の首都を計画したバビロン(Babylon, メソポタミアの古代都市)まで引き返すも、熱病により32歳の若さで崩御(ほうぎょ)。各地に自分の名前にちなむ都市を建設し(エジプトのアレクサンドリアなど)、古代ギリシアと東方の文明/文化を融合、後のヘレニズム文化(Hellenism, ギリシア主義)を基礎づけた。ちなみに「ヘレン(Hellen)」はギリシア神話の人物で、古代ギリシア人は自らを「ヘレネス(Hellēnes, ヘレンの一族)」と称した。 |
(注16) |
古代ローマ(Ancient Rome):
イタリア半島中部で紀元前753年に建国された王政ローマ(Roman Kingdom)に始まり、イタリア半島の都市国家連合から地中海全域の支配に至る共和政ローマ(Roman Republic)、ヨーロッパ/北アフリカ/西アジアを広大な領土とするローマ帝国(Roman Empire)までの時代を指す。西暦395年に東西分裂し、西暦476年に西ローマ帝国が、西暦1453年に東ローマ帝国が滅亡。 |
ところが、ガレノス以降、古代ローマの衰退とともに、古代ギリシアの学問が失われ、中世の医学は停滞しました。ヒポクラテスの開いた「医学」の扉は閉ざされ、医療は、宗教施設と地域ごとの民間療法が中心となります。宗教施設が地方文化の中心となり病院を併設、ヒポクラテス医学の文献こそ残されましたが、新たな知識を受け入れない、悪い意味で保守的な、形式にこだわるだけの理念的な医術は、ヒポクラテスの理想とは真逆と言えます。こうした状況が覆されるのは、時代が進んで近代科学の発展を待たねばなりませんでした。
と、これでも、かなり端折ったつもりなのですが、さすがに字数が嵩張り過ぎましたね。以降の歴史、近世/近代/現代の薬学事情、特に抗菌薬の開発については、次回に解説したいと思います。
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