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Column


第66回 ワクチンの話(その2)
<質問>
本羅先生、こんにちは。つい最近まで暑かったのに、急に寒くなりましたね。本当に秋が無くなったかのようです。
あまりに季節の変化が激しすぎるのか、体調を崩して仕事を休む同僚もチラホラいます。
私は何とか元気ですが、なかなか疲れが抜けない気はするので、単に鈍感なだけなのかもしれません。

インフルエンザの流行が始まったというニュースも目にしましたし、変な肺炎が流行っているとも聞きました。
新型コロナの話題はTVで見かけなくなりましたけど、どうなんでしょう。
確か、本羅先生は前回(本コラム第64回)、まだまだ心配だとおっしゃっていたはずですよね。

先日、両親に、毎年打っているインフルエンザだけではなく、念のために新型コロナのワクチンも打つよう言ったところ、かかりつけの内科に行ってきたようです。今回からは無料でなくなったので、お財布を心配していましたが、意外に安く済んだと言っていました。
私の方は、新型コロナについては全額自己負担ですので悩んでいます。もちろん、インフルエンザワクチンの予約はするつもりですが。

一つ気になるのが、親は、かかりつけの内科で薦められて、新型コロナとインフルエンザのワクチンを一緒に打ったというのですが、これって、大丈夫なんでしょうか。
実は、会社で凄くワクチンに反対する先輩がいるのです。彼が言うには、新型コロナの遺伝子ワクチンなんて論外だし、インフルエンザワクチンを打って酷い病気になった人の話や、若い女性に向けたワクチンでは酷い後遺症に悩まされている少女が多くて、訴訟騒ぎにもなっているのだとか聞かされました。

私はワクチンについて何とも思っていないのですけど、実際に、そういうことがあるのならと、少し心配になってしまって。
でも、大丈夫ですよね?(東京都 Y.S.)
(2024年11月)
<回答>
Y.S.さん、ご質問、ありがとうございます。確かに、日々、気温の激しい変化が続きます。以前お伝えしたように(本コラム第57回)、私たちの多くは、寒暖差7度で、体温調節のために自律神経が過剰に働き、疲労を感じる方もいるようです。今の季節柄で言えば「夏バテ」ならぬ「冬バテ」といったところでしょうか。
Y.S.さんも、意識して体温調節できるよう、着脱の楽な防寒具で対策してくださいね。

Y.S.さんがおっしゃるように、確かに、11月8日に厚労省が、前週の平均値で、インフルエンザ流行開始の目安である「1医療機関当たり感染者数1人」を超えたことを発表しました。まぁ、昨年ほど(9月早々)ではないにせよ、平年より1月くらいは早いですね。

参考) 「インフルエンザに関する報道発表資料」*2024年11月8日発表分
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/
kekkaku-kansenshou01/houdou_00018.html

マイコプラズマ肺炎について

また、「変な肺炎」とはマイコプラズマ肺炎(Mycoplasma pneumonia)のことだと思いますが、確かに、例年になく流行しているようです。かつて日本では夏季オリンピックの年に流行る「オリンピック熱」とも呼ばれていましたが、2000年以降、流行の周期性は見られません。2020~2023年の患者数は、ほぼ消失していましたが、今年の大きな流行は、8年ぶりとのこと。やはり、昨年(2023年5月8日)に新型コロナ禍を感染症法上の5類に変更して以降、社会全体で、呼吸器感染症対策が緩んだことの反動と思われます。

病原体であるマイコプラズマ(Mycoplasma)は細胞壁を持たない細菌で、長径が200~300nmと(単細胞生物で最小クラス)、自己増殖可能な最小の生物と考えられていて、ゲノムサイズ(遺伝子の総量)も最小ですが、そのためか主として脊椎動物に寄生することでしか生きられないので、ウイルスと細菌の中間と考えることもあるのだとか。

肺炎の原因菌としては、肺炎レンサ球菌(注1)に次いで多く、マイコプラズマ肺炎には歩く肺炎(walking pneumonia)の異名があります。これには2つの意味があって、1つは「入院の必要なく通院で治療できる」こと、もう1つは「患者が街中で病原体を振りまく」ことを表しています。実は、感染から発症までの潜伏期間が長く(1~4週間/2~3週間が多数)、発症の2~8日も前から呼気に排菌されるのです。さらに、発症してから1週間は高濃度で排菌され、徐々に減少するものの、その後、4~6週間は排菌が続きます。つまり、感染者は、発症までは自覚症状の無いまま、発症後も数週間は通院時に、街中でマイコプラズマを撒き散らしているというわけです。もちろん発症後はマスクをしているだろうと思いますが、少しでも体が楽になればマスクを外す方も増えるでしょう。その時、自分の口や鼻からマイコプラズマが飛び散っていることを想像できる方が、どれ程おられることやら。

(注1) 肺炎レンサ球菌(Streptococcus pneumoniae)
  肺炎の原因菌であることから「肺炎球菌(pneumococcus)」、患者の喀痰に含まれる菌を染色したときの顕微鏡観察像が連なった2つの球形であることから肺炎双球菌 (Diplococcus pneumoniae)とも呼ばれる。後年、液体培地に分離すると鎖状に増殖することから、肺炎レンサ球菌と呼ばれるようになった。肺炎の病原体として古くから知られると同時に、遺伝情報が物質(DNA)であり、個体の生死を超えて伝達することを示した初期の実験(遺伝学の教科書に必ず登場する、いわゆる「グリフィスの実験」)の材料としても有名。ちなみに「レンサ」は「連鎖」だったが、鎖状に連ならない細菌も仲間に含むことから、近年ではカタカナ表記が主流になった。


なかなかに厄介なマイコプラズマ肺炎ですが、通常は、良好な自然軽快を辿ります。ただし近年、若年層に、劇症型(急速に重症化するタイプ)のマイコプラズマ肺炎が増えているので、ご注意を。油断せずに、体調の悪いときは、医師の診察を受けてくださいね。

ワクチンに関する誤解と事実
さて、Y.S.さんの先輩さんからお聞きになった反ワクチンの話は、先月もお話しましたように、ご心配なさる必要はありません。後ほど、別の角度からもワクチンのお話をしてみますね。また、ご両親の件も、大丈夫ですよ。新型コロナとインフルエンザのワクチンを同時に接種しても、何も問題ありません。特別、副反応が強く出ることもなく、個人差の範囲内とのことです。これについては、エビデンスレベルの高い、ランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial, 略称:RCT)で確認されていますので、ご安心ください(「エビデンスレベル」については、本コラム第28回を参照のこと)。

参考) 「コロナ&インフルワクチン同時接種で副反応増加せず」
https://medical-tribune.co.jp/news/articles/?blogid=7&entryid=565239

事前に心配されたように、新型コロナウイルスのワクチンが有料となって、やはり接種率は低下しているようです。
ただ、春先には1回7千円と報道されていましたが、概ね3千円前後と、インフルエンザワクチンの料金に合わせて補助した自治体が多いようです。
高齢者以外の接種については全額自己負担なので、1回1万数千円になります。かく言う私もY.S.さんと同じく、インフルエンザワクチンはともかく、新型コロナのワクチンは懐の事情から躊躇しています。こちらもインフルエンザワクチン並みに価格を抑えられないと、接種率は低空飛行どころか、このままだと墜落ではないでしょうか。

実際のところ、まだまだ新型コロナ禍は続いています。そもそも昨年(2023年5月8日)に感染症法上の分類を5類に変えて以降の1年間で、新型コロナ禍の死亡者数が3万2千人を超えています。このニュースが、なぜ大きな話題にならないのか、不思議です。

参考) 「コロナ死者年間3万2000人超 5類移行後、インフルの15倍 高齢者らには今も脅威」
https://www.sankei.com/article/20241024-327TDPQ2VVMKTJFRWW2DRIXJIE/

確かに、亡くなった方の9割は高齢者なのですが、子供たちも無事ではありません。人数は少ないながら、令和6年度の統計では、年齢階級【1~4歳】の子供たちの死因は「新型コロナウイルス感染症」が5位です。さらに女子に限ると、年齢階級【1~4歳】の3位に増加、【10~14歳】の5位にも「新型コロナウイルス感染症」が死因に数えられます。

参考) 「令和5年(2023)人口動態統計月報年計(概数)の概況」第7表
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai23/index.html

そして、亡くならないまでも、罹患後症状(いわゆる後遺症)の心配もあります。かつて「感染した方が良い」などとTVなどでおっしゃっていた、自称・専門家の方々は無責任にも程がある、と個人的には思います。

とはいえ、誰かを責めてもウイルスが消えるわけではありません。冷静に、新型コロナ禍の現況をデータで把握することにしましょう。まずは、いつも通り、モデルナ日本法人のデータを眺めると、前回(第64回/2024年9月末)のデータでは、もう次の波が始まると考えていたのですが、幸いにも、さらに減少し、1日当たりの感染者数が1万人を切る日もありました。ただし、11月半ば以降は1万人強が続きます(図1)。

図1.全国新型コロナウイルス感染症患者数の推移
●患者数は、2023年5月8日から2024年11月25日までの推計値。
●推計値は、「エムスリー株式会社 (M3, Inc.)」が独自に構築するデータベース「日本臨床実態調査(Japan Medical Data Survey, JAMDAS)」による。
参考)https://moderna-epi-report.jp/

ところで、昨年の第9波よりも今年の第11波で、高齢者の感染者数が増えていることが、少々気になります。今後の感染者数の動向次第では、来年度の死者数は3万2千人より増えるかもしれません(図2)。

図2.年齢区分別 全国新型コロナウイルス感染症患者数の推移
●患者数は、2023年5月8日から2024年11月25日までの推計値。
●推計値は、「エムスリー株式会社 (M3, Inc.)」が独自に構築するデータベース「日本臨床実態調査(Japan Medical Data Survey, JAMDAS)」による。
図1のグラフを年齢により3つの区分に分けて表示。
参考)https://moderna-epi-report.jp/

次に、下水サーベイランス(Waste-water surveillance:下水中のウイルス由来RNA濃度/市中における感染者動向の目安)ですが、相対的に低目かつ横ばいのようです。データの公表が2週間ほど遅れることと、先に見たモデルナの傾向と大きく変わらないことから、今回はデータを示しません。油断は禁物ながら、一時ほどの勢いが収まりつつあるように思えて、ホッとします。毎日1万人も新規感染者が出るとはいえ、ゆるりと終息してくれるなら、それに越したことはないでしょう

しかし、世界に目を向けると、またしても新型コロナ禍の厭らしさが、垣間見えます。前回(第64回)も示したPANGOリニエージ(変異系統名)の系統樹ですが、たった2か月で、とんでもない変化が見えました(図3)。

図3.PANGOリニエージ系統樹('24/11/25)
●同心円状に時間軸を配置
●同一円上には、同じ時間の変異系統が並ぶ
●中心が武漢オリジナル株で、外縁に遠ざかるほど時間が経過
参考)https://gisaid.org/phylodynamics/global/fiocruz/
          (左メニューの”Color By”を”Variant”にしてください)

またしても、猛スピードで広がる新たな変異系統が現れたのです。それも、今、世界中で猛威を振るうピロラ(Pirola:PANGOリニエージBA.2.86 / 本コラム第52回初出)が、さらに変異を重ね、それぞれ別の特徴を持ったピロラ同士が、遺伝子組み換えを起こしました。それがPANGOリニエージ”XEC”です(図3右上水色文字)。PANGOリニエージでの“X”は、遺伝子組換えで発生した変異系統名の接頭辞です(本コラム第42回参照)。

ここでの「遺伝子組換え」とは、複数のウイルス遺伝子を掛け合わせるという意味です。そんなことが起きるのは、1人の感染者に、異なる複数の変異系統ウイルスが重なって感染しているからです。複数種のウイルス遺伝子が、一人の感染者の中で混ざりあい、新たな変異系統ウイルスが生まれたというわけです。さらに、そこから他者への感染を繰り返し、私たちの免疫をくぐりぬけるウイルスが選抜されたのでしょう。以前にも用いた、嫌な譬えで申し訳ないのですが、これでは世界中の、あちらこちらで、まるで研究者による培養細胞を使った実験のように、人体を培養皿にしてウイルスの変異系統を作り続けているのと同じです。

ちなみに”XEC”は、”KP.3.3”と”KS.1.1”が遺伝子組換えしたウイルスで、組換え体としては118番目になります。”XA~XZ”、”XAA~XAZ”、”XBA~XBZ”、”XCA~XCZ”、”XDA~XDZ”と使い果たし、”XEA,XEB”の次、です。ただし、XI, XO, XX, XAI, XAO, XAX, XBI, XBO, XBX, XCI, XCO, XCX, XDI, XDO, XDXの15個は欠番です(”X”,”I”,”O”は表記に用いません)。11月12日に登録された、最新の組み替え体ウイルスは”XEP”で、”KP.3.1.1”と“NP.2”の遺伝子組換えウイルスです(注2)。

(注2) 変異系統それぞれのPANGOリニエージについて:
以下の組換え体の元になったウイルスは、それぞれがピロラ(BA.2.86)から変異したものであることがわかる。


さらに今回は、GISAIDクレードで、ウイルスの変異系統とタンパク質の変異の関係も確認してみましょう。GISAIDクレードについては、本コラム第26回で詳細に触れていますが、特徴的なタンパク質の変異に注目して分岐させます。そして最新のものを見てみると、ここでもオミクロン株は、独立した枝となっており、特別な株であることが分かります(図4)。

図4.GISAID クレード系統樹
●Sタンパク質:スパイクタンパク質(spike protein)の略。ウイルスの表面にあり、感染先の細胞に結合する性質を持つ。ウイルスが細胞に侵入する、つまり感染の足掛かりとなる。
●Nタンパク質:ヌクレオカプシドタンパク質(Nucleocapsid protein)の略。ウイルスの遺伝情報であるRNAを安定化させる。
●非構造タンパク質3:新型コロナウイルスを形作るタンパク質(構造タンパク質)ではない、16種類あるタンパク質の1つ。これは、感染先の細胞内で、ウイルスに必要なタンパク質を加工するために必要な酵素として働く。
●「アルファベット・数字・アルファベット」の意味は本文で説明。

タンパク質の変異で分岐するGISAID クレードを理解するために、次のようなイメージを持つのは、どうでしょうか。そもそも遺伝情報は、多くの場合、それぞれ特定のタンパク質を意味していて、核酸(DNAやRNA)の並びには、タンパク質を構成するアミノ酸の配列順序が刻まれています。したがって、まずアミノ酸を1つのビーズと見做し、タンパク質を「何百何千何万と1列に連なったアミノ酸ビーズの鎖」と考えるのです。そして、実際のタンパク質は、1列の長いアミノ酸ビーズ鎖がクシャクシャと折りたたまれ、立体と化しています。その立体の形状が、私たちの身体を形作り、体内で酵素(生命の化学反応を制御するタンパク質)として働くわけです。形を決めるのは、アミノ酸ビーズのつながる順序。折りたたまれるときに、アミノ酸1つ1つの形や化学的性質の違いが影響しあって、特定の立体形状になります。

今、GISAID クレードの”G”という分岐に注目してみます。分岐”G”は「Sタンパク質 D614G」という特徴を持つウイルスです。これは、Sタンパク質 の中に”D614G”という変異があったことを意味します。”D614G”とは、タンパク質のビーズ「614番目のアミノ酸」がD(Aspartic Acid:アスパラギン酸)からG(Glycine:グリシン)に置き換わっていることを意味します(図5)。アミノ酸が置き換わると、タンパク質の形は微妙に変わります。つまり、分岐”G”のウイルスは、感染に使うスパイクの形を変えたのです。

図5.アミノ酸の略号
●アミノ酸の公式な略号には、3文字表記と1文字表記がある。
●名称の後ろにつく(A)は酸性、(B)は塩基性のアミノ酸。
●3文字表記は英名の頭から、1文字表記の由来については (注3) を参照。

(注3) アミノ酸の略号:1文字表記については、次のように決められた。
1) 頭文字の重複しないものは、頭文字を適用する。:C,H,I,M,S,V
2) 重複のある文字は、様々なタンパク質に多く含まれるアミノ酸の頭文字を適用する。
:A,G,L,P,T
3) それ以外で、特徴のあるもの3つについて。
3-1)発音に由来するもの2つ。:
”R”アルギニン(Arginine), ”F”フェニルアラニン(Phenylalanine)
3-2)分子形状に由来するもの1つ。:
”二重”の環状構造(インドール環)を持つトリプトファン(Tryptophan)は”W”とする。
4) 残りのアルファベットの内、次の6つは使わない。:B,J,O,U,X,Z
*手書きや印刷のフォントで他の数字やアルファベットと紛らわしいので。
*ただし”X”は「未知/不確定のアミノ酸」の記号とする。
5) 残りの「使う文字」をアルファベット順に並べ、頭文字の隣接するアミノ酸。:
”K”リシン(Lysine)
6) さらに残った文字で、頭から2文字目に相当するアミノ酸。:
”Y”チロシン(Tyrosine)
7) さらに残った文字について、アスパラギン酸(Aspartic Acid)に”D”、グルタミン酸(Glutamic Acid)に”E”を適用する。
8) 最後に残った文字について、アスパラギン(Asparagine)に”N”、グルタミン(Glutamine)に”Q”を適用する。



図4でGISAID クレードの各分岐を見ると、ざっくり「Sタンパク質の変異」が目立ちます。私たちの新型コロナウイルスに対する獲得免疫はSタンパク質を認識しているので、Sタンパク質の形が変わると「そのウイルスの正体」が分からなくなります。変異系統が出てくることで、流行が再燃する主な理由は、これです。そして、そもそも全く形を変えると私たちの細胞に結合できなくなる(感染できない)ので論外ですが、細胞に結合できる程度にしか変わらず、免疫に認識されない程度には変化するという、ある種の二律背反を実現しているのが、ウイルスの変異系統なのです。凄まじい頻度の突然変異と、そこから悪質な変異を選抜できるだけの感染者数が、これを可能にしています。

そして、やはりオミクロン株は特別なのだ、ということを実感していただくために、次の図6を見ていただきましょう。

図6.GISAID クレードによるPANGOリニエージ系統樹('24/11/25)
●同心円状に時間軸を配置
●同一円上には、同じ時間の変異系統が並ぶ
●中心が武漢オリジナル株で、外縁に遠ざかるほど時間が経過
●図3をGISAID クレードによって色分け
参考)https://gisaid.org/phylodynamics/global/fiocruz/
          (左メニューの”Color By”を”Clade”にしてください)

インフルエンザワクチンの副反応
今回、お示ししたXECもそうですが、より細かくお話しすると、この真っ赤な変異体のそれぞれに、さらなるSタンパク質の変異が幾つもあります。新たな変異系統を生み出さないためには、感染者を出さないことしかないのですが、現状では難しいでしょう。そうなると残念ながら、新型コロナ禍とは、さらに長いお付き合いとならざるを得ません。根本的な解決策はないものか、暗澹たる気持ちになります。

もしも、どこかの時点で、世界中で一気にワクチン接種を進め、一時的にでも感染者増を抑えこんでいたならば、「いつまでも変異系統に振り回される」という現状を避けられたかもしれません。少なくとも日本において、2021年の第5波(デルタ株)は、不完全ながらもワクチン接種が進んだこともあって、秋まで上手く抑え込めたと思います。しかしながら、さすがに世界人口81億人ともなると、人類史上、稀に見る大惨事ですから、現代科学の理想通りに物事が進まなくても、致し方ありません。そして日本においても、その後はワクチンの追加接種が滞ったことで、オミクロン株の猛威をかわし切れず、今に至ります。

マスクなどの基本的な感染対策がキチンと行われていた2021年や2022年は、まったくと言ってよいほど、インフルエンザを始めとする呼吸器感染症が鳴りを潜めていました。そして、対策の緩んだ昨年以降、思い出したかのように、様々な疾病が数年来の流行と聞くと、私のように専門家ならぬ身ですら、基本的な感染対策の効果が窺い知れます。

本コラムの趣旨から外れてしまうので深入りしませんが、先の選挙(都知事選/衆院選)を拝見していると、一定数の「ワクチン反対主義者」に代表される、科学を正しく理解されない方々が票を持っているようです。つまり、大多数ではないにせよ、無視できない数の人たちがワクチンを嫌い、医学的な常識を疎ましく思っているのでしょう。そして、彼らを商売の種とする不逞の輩もいるということです。

ただ、前回(本コラム第65回)にも触れたように、ワクチンは、健康な時に予防効果を期待する、きわめて現代的な医療です。具合の悪い時に処方される医薬品とは違って、個人では効果を実感し難いと思います。さらに、ワクチンを接種することによって、頻度は少ないながらも体調不良や副反応に苦しまれることもあるとなれば、悪い印象を抱く方がおられても不自然ではないのかもしれません。

実際、Y.S.さんの先輩さんがおっしゃられた、インフルエンザワクチン接種後の酷い病気とは、おそらくギランバレー症候群(Guillain-Barré syndrome)でしょう。ギランバレー症候群の病状は、手足に始まる脱力/しびれが、急速に全身へと広がる…というのが典型的ですが、誤解の無いようにしていただきたいのは、これはインフルエンザワクチンに特有の副反応というわけではありません。その他の様々なワクチンのみならず、ある種の医薬品や食中毒を起こす細菌やウイルス感染によっても引き起こされます。むしろ、他の風邪のような上気道感染症が、発症の契機としては頻度が高く、そもそも発症した本人にも、先行する感染症や投薬などが不明なことも多いようです。病態としては、いわゆる炎症性多発神経障害で、一種の自己免疫疾患(Autoimmune disease)と考えられています。つまり、何らかの理由で免役が過剰に働き、神経系に炎症性の悪い影響を及ぼしている状態が、ギランバレー症候群なのです。予後は良好なことが多く、典型例では数週間で鎮静化し、軽快します。ただし、重症例では呼吸不全の突然死リスクがあるので、通常は入院しての加療が必要です。

ちなみに、厚労省によると、昨年度(令和5年10月1日~令和6年3月31日)、推定4905万8485人にインフルエンザワクチンが接種されました。その内、接種後の死亡が疑われたのは10名(0.00002%)、ギランバレー症候群や急性散在性脳脊髄炎(注4)と診断され、関連を疑われたのは5名(0.00001%)でした。その後の調査で、亡くなった方は誰にもワクチン接種との因果関係が見いだされず(つまりワクチンが原因の可能性は低い)、後者については1例が関連を否定できなかった、とのこと。そもそも、それくらい稀な頻度なんですね(注5)

(注4) 急性散在性脳脊髄炎(acute disseminated encephalomyelitis; ADEM)
ウイルス感染やワクチン接種後に見られる、アレルギー性の脱髄疾患。「脱髄」とは、神経線維の軸索を覆って電気的に絶縁する髄鞘(myelin sheath / ミエリン鞘とも)が傷つくことをいう。ざっくり、髄鞘という「被覆」が破れて、神経線維という「電線コード」が剥き出しになったイメージ。過剰に働く免疫細胞が、髄鞘を攻撃したと考えられる。病態はギランバレー症候群に似ている。

(注5) 報告数については、ワクチン製造業者と医療機関に由来する数字を単純に合算するため、両報告の同じ症例が重複する。つまり、実際の副反応は、もっと少ない可能性がある。

参考) 「令和5年シーズンのインフルエンザワクチン接種後の副反応疑い報告について」
https://www.pmda.go.jp/safety/info-services/drugs/calling-attention/
safety-info/0164.html


HPVワクチンとその議論

次に「若い女性に向けたワクチンで後遺症の訴訟騒ぎ」というのは、前回(本コラム第65回)にも触れたHPVワクチンのことでしょう。以下、簡単に流れを説明します。

●2009年、厚労省がHPVワクチンを初承認
●2013年、HPVワクチンの定期接種を開始
●副反応を訴える声が多く、開始から数か月で積極的勧奨を中止
●2016年、副反応を薬害として、国と製薬会社を相手に各地で提訴

個人的には、当局の「積極的勧奨中止」という対応は、あまりにも拙速すぎたと思いますし、ようやくキャッチアップ接種に至るまでに10年の足踏みです。本コラム第63回でも触れましたが、HPVワクチンと、その副反応とされる体調不良には、厳密な科学的調査や統計的な事実として、世界的にも因果関係が認められていなかったのに、です(注6)

(注6) 日本でも「名古屋スタディ」という、日本唯一の「自治体主導の疫学研究」が行なわれた。もちろん、HPVワクチンの副反応とする主訴と接種の関連は疫学的に確認できなかった。ただし、反ワクチン側は公開された同データを全く反対に解釈して論文化した。元データの研究代表からは、非科学的(=科学の御作法に反する)と非難されるも対応不明。また、反ワクチン側から、HPVワクチン副反応は未知の病態と発信され、厚労省の研究事業として病態生理と治療法の研究が進められたが、研究代表や実験担当者がデータ捏造の疑いをかけられるほど杜撰かつ稚拙な内容で、関係者内外から科学的に無価値と判断されている。

参考) 「HPVワクチンの副反応に関する,名古屋スタディ-の最終結果」
https://kanagawacc.jp/vaccine-jp/226/

「再び動き出したHPVワクチンと名古屋スタディ」
https://www.aichi.med.or.jp/dr/modern_l2/article/%EF%BC%92%E5%8F%B7
%EF%BC%88%EF%BC%96%E6%9C%88%E7%99%BA%E8%A1%8C%EF%
BC%89/


「平成29年度「子宮頸がんワクチン接種後に生じた症状に関する治療法の確立と情報提供についての研究」について」
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou28/tp170331.html


意地悪な言い方ですが、体調不良を訴える少女をセンセーショナルに報道して世間を動かしたマスコミと、自称・人権派弁護士による、科学的なエビデンスを無視した訴訟なのです。実際のところ、裁判は遅々として進まず、可哀そうなことに体調不良の女性たちが取り残されています。前にも申しましたが「むしろ、副反応とみなすことで、本当の病因を見失う」ことになっているかもしれません。
というのも、そもそもHPVワクチンに限らず、注射やワクチンに過大な生理反応を示す方はいらっしゃいます(もちろん無意識に、です)。近年、そうした方々の身体反応に「予防接種ストレス関連反応」と名付け、臨床的に寄り添うようになりました(注7)。日本だけではなく、類することは世界中にあり、理性的に対応しうるということです。

(注7) 予防接種ストレス関連反応(immunization stress-related responses:ISRR):
WHO(World Health Organization, 世界保健機関)における「ワクチンの安全性に関する専門家会議(Global Advisory Committee on Vaccine Safety:GACVSが提唱した概念。2019年12月、内容と対応を医療従事者向けにマニュアル化し、WHOから公表された。概略は以下。

●個人のストレス反応を3因子(身体的/心理的/社会的)の複合した結果とみなす。
●上記を踏まえたISRRの予防、発見、適切な対応は、安全な予防接種に役立つ。
●予防接種の副反応は、ワクチンの内容物に対する身体の生理的応答に起因するもの以外に、接種行為そのものから誘発される可能性もある。
●誘発要因となる行為を極力排除し、誘発された場合も健康障害を最小にすることにより、社会全体でワクチン接種の安全性を高めることに貢献する。

参考) ”Immunization stress-related response: a manual for program managers and health professionals to prevent, identify and respond to stress-related responses following immunization”
https://www.who.int/publications/i/item/978-92-4-151594-8


次世代型ワクチンと今後の展望
もちろん日本で訴訟を起こした全ての患者が、予防接種ストレス関連反応で説明可能とは限りませんが、少しでも救われる方が増えれば、と思います。
そして、前回(本コラム第65回)でも案内しました、HPVワクチンのキャッチアップ接種(対象者の無料接種期間)が2025年の3月に終わる件ですが、期間内に1度でも接種した方は、2025年3月以降も2度目ないし3度目の接種を公費で負担することに変更されます。つまり、1回目を来年3月までに接種すれば、3回目の完了まで無料で接種可能となります。もし、期間に間に合わないことで、接種を諦める方が近くにおられたら、まだ大丈夫だよと、教えてあげてください。

参考) 「子宮けいがんなど防ぐワクチン キャッチアップ接種 期限延長へ」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241127/k10014651121000.html

「厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会予防接種基本方針部会におけるHPVワクチンのキャッチアップ接種に関する議論について」  https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/
notifications.html

実は、製薬企業も、デマを振り撒く横暴な輩の煮え湯を飲むだけではなく、あまりに酷い非科学的な誹謗中傷には、法的に対応するようです。特に、今回(2024年10月)の新型コロナ禍の定期接種から採用された、次世代型mRNAワクチンコスタイベ筋注用(MeijiSeikaファルマ)に対しての、反対派の物言いは、私から言わせると「科学への冒涜」に等しいと感じました。

この件について、「日本看護倫理学会」という、一見、医学系研究者界隈から、内部告発のような「緊急声明」が、学会ホームページに掲載されたことは影響が大きかったと思います。しかし「一見」と、わざわざ付言したように、この学会は臨床/基礎医学や感染症学、免役学、ワクチン開発の専門家が集う場ではありません。ただ、一般の方からすれば、「学会」と名が付く組織からの「緊急声明」とあっては、相応の危機感を持つでしょう。それが、彼らの専門外かつ非科学的な内容であることは、それこそ一般の方には気づかれず、大いに誤解を招くと思います。もちろん、多少なりとも知識と経験があれば、すぐに「エビデンスのない讒言だ」と判断がつきますが。

私個人としては、この次世代型mRNAワクチンや、モデルナが近々申請すると噂のインフルエンザ/新型コロナウイルス混合のmRNAワクチンなど、可能な限り、接種したいと思うのですが、たぶん反対派には理解されないのでしょうね。ただ、誤解されると困るのですが、私自身は、いわゆる「新製品が出ると欲しくなる」タイプではありません。