Column
第47回 性の多様性(2) |
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<質問> 先日、女優の橋本愛さんが、InstagramでLGBTについて投稿した内容が炎上したのを見ました。特に、身体が男性で心が女性のトランスジェンダー(Transgender)についての意見が問題になったのだとか。 私は、彼女の意見に賛成で、怒られるようなことは書いてなかったと思うんです。でも、彼女は全面的に謝っていました。私も、自分が女性で、LGBTの当事者ではないから、怒っている人たちの気持ちが分からないのかもしれません。 本羅先生は、以前、そうした人たちに偏見がないとおっしゃっていましたよね(第19回)。今、ニュースになっているようなLGBT、特に、トランスジェンダーについては、どう思われますか? また、このようなことは動物の世界にもあるのでしょうか。(東京都 Y.R.)
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<回答> LGBT理解増進法 Y.R.さん、ご質問ありがとうございます。今現在、どういうわけか、急ピッチでLGBTに関して法案作りが進められています(注1)が、特に関心のない人にとっては何のことだか分からないですよね。橋本愛さんが炎上した件については、私は存じ上げませんでした。なにせ、芸能人に疎くて、橋本さんのことすら、今回知ったという不調法者です(申し訳ありません)。
軽く調べたところ、橋本さんが投稿された原本を見つけることができました(インターネットは便利ですね)。ただし、ご本人が削除されていますから、ここで原本をお示しすることは差し控えます。 さて、原本を拝読した限り、Y.R.さんが感じられたように、特に差別的ではありませんでしたし、理性的かつ抑制の効いた発信だったと思います。個人的には、とても好感を持てる内容でした。 その上で、「公共の設備では『体の性』で区分するのが良い」という彼女の意見(※本羅の要約)が、「トランスジェンダー差別だ!」と炎上したことに、ちょっと驚きました。というのも、世界では、性自認が女性であるトランスジェンダーが、スポーツ出場枠や公共の女性スペースなどで起こしているトラブルがニュースになっているからです。 既に、日本でも、性自認が女性の40代男性が、女装して商業施設の女性トイレに入ったことで事件となり、書類送検されています。ちなみに、容疑者は、性別適合手術や性同一性に関する医師の診断を受けていませんでした。 もちろん、一部の人が起こしたトラブルをもって、トランスジェンダーに対する偏見を煽り立てることは論外です。実際、ほとんどのトランスジェンダーは、こうしたトラブルを起こさないよう、慎重に行動されているからです。 しかし、誰もが、何ら交流も無く、他者の心の有様を知ることは不可能ですし、自身の心の中が、他者に黙っていても伝わるとは思わないでしょう。つまり、主観的かつ個人的な事情と、客観的かつ社会的な評価とのギャップが問題なのです。その意味で、性的指向(注2)や性同一性の問題は、特に「社会的な文脈」での難しさを孕んでいるのでしょう。
ここでの「社会的な文脈」とは、他者と自分の相似(similarity/analogy)、あるいは相違(difference/variation)を、お互いの外見や振舞いを通じて、どのように認識して表現するのか、ということです。もう少し咬み砕くと、集団としての感覚や常識の(例:言葉や文化、宗教など)、極端に異なる人々が、一つの社会として交わる困難さ、というイメージが近いかもしれません。 歴史を振り返れば、社会構造における少数が、多数から差別され、軋轢を受けてきた例は、枚挙に遑(いとま)がありません。ただし、社会を構成する多数と少数は、あくまで相対的であり、ある時点から差別と被差別の逆転が見られることも、また、歴史の真実です。 そして、少なくとも、現代社会においては、個々人の自由と権利の矛盾、つまり「人権と人権の衝突」は、公共の福祉(the public welfare)という概念に沿って調整されます。ただし、公共とは、実質的に、社会がもたらす人権の制約ですから、その調整は、社会のルール(具体的には法令)によってのみ定められるべきです。そして、その合理性は、個別に専門家が議論していると思います。 さて、法学や社会学、政治といった人文学は、私の専門外ですから、上記の仔細に不備があれば、申し訳ありません。ただ、話を戻すと、まだまだ議論が足りないという意味で、LGBTに関する様々な内容の、拙速な法制化には賛成できません。 そして、それらが議論の過渡にあるという意味では、明らかな特定個人に対する差別でないのなら、ましてや、今回の橋本さんの件のように、関係者でもない方からの個人攻撃(炎上)は良くないと考えます。 もちろん、私も、人道的に、あらゆる差別は解消されるべき、と思います。しかし、個人的意見ですが、西洋諸国のキリスト教的文化や歴史背景ほどには、性的マイノリティへの社会的な抑圧は、日本では大きくないと思います。 その意味で、性的マイノリティの社会的な位置づけや受け入れは、今、日本の政界で議論されているものと、形を変えるべきと考えています。……すみません。社会政策や施策は専門外と言いながら、少し、踏み込みすぎました。ここまでのお話は、あくまで、素人の雑感レベルとご承知おきください。 医学・生物学から見るトランスジェンダー 本コラムの主題は生命科学ですから、以降は、現時点でのトランスジェンダーについて、医学・生物学的に解説します。こちらについては、専門家の端くれです。正しい科学的な理解を進めることで、文化的な偏見や誤解が薄まるようにしたいと思います。 さて、過去のコラム(第19回)では、主に、同性愛(homosexuality)に注目し、動物における同性愛的な行動は、繁殖目的の延長(性愛)というより、集団生活を円滑にすることに重要性がある、言い換えると、社会的な機能としての親密なコミュニケーションが、私たちからは同性愛的に見えるのだろう、と説明しました。つまり、性的指向の問題ではない、ということです。一方で、これは、性同一性の問題でもありません。もう少し、説明を加えましょう。 性同一性とは、身体的な性別(Biological Sex)と、社会生活や成長に伴って培われた、自覚的な性別(gender identity, 性自認)が一致していることです。そして、この2つの一致していないことが、トランスジェンダーに相当します。 この意味で、動物の行動(性自認)が、生物学的な雌雄を逆転しているような事例は、極めて稀です。基本的には、突然変異などであり、特殊な実験環境下以外、自然界などでは観察は難しいでしょう。 性自認を「心の性別」と考えるとき、トランスジェンダーは、身体と精神の性的な乖離と理解されました。それゆえ、ほんの数年前までは、トランスジェンダーの方は、性同一性障害(Gender identity disorders)と呼ばれました。つまり、精神疾患(mental disorder)の一つに数えられていたのです。
しかし、ここは、おそらく、当事者あるいは当事者ではない方も含め、多くの誤解や偏見を招くところです。安直には、受け取らないでください。特に、「精神病」という言葉そのものに、無理解からの差別的なニュアンスが強く付きまといます。 近年、ようやく鬱病や発達障害などが広く理解されるようになったとはいえ、ましてや、密やかなる慎みを美徳とし、端ない振る舞いを下品とする日本文化では、少数派の「性」が「表向きの世間」から過敏に扱われがちになるのでしょう。もちろん、こうした事情は、諸外国でも少なからずあります。しかし、改善する動きは、始まっています。 例えば、精神疾患の標準治療に用いられる、国際的な指針に、精神疾患の診断・統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, DSM)があります。米国精神医学会(American Psychiatric Association, APA)が発行しているのですが、その最新改訂版である第5版(DSM-5, 2013年)では、性同一性障害を性別違和(Gender dysphoria)と改称しました。これは、障害/疾患(disorder)という言葉の語感を和らげ、性自認に、より広い性別であるXジェンダー(エックスジェンダー、X-gender,(注3))を含ませる意味があります。
さらに、WHOが、2018年に発行した国際疾病分類(International Classification of Diseases, ICD(注4))の第11版(ICD-11)では、DSM-5よりも、さらに性同一性障害の再解釈を進めています。 過去の版には無かった「性の健康に関連する状態群(Conditions related to sexual health)」という新章を設け(第17章)、その中で、性同一性障害を性別不合(Gender incongruence)と改称しました。そして、性別不合は、「身体の性別」が「心の性別」と不一致(incongruence)な状態である、と強調しています。言い換えると、性別不合は、精神疾患ではなく、「身体的な状態」の問題で、ある種の奇形(Deformity, 注5)なのだと、疾病の概念を変更し、再解釈したのです。
ここも誤解してほしくないのですが、トランスジェンダーが何がしかの疾病だ、と言いたいわけではなく、まだまだ科学的な研究が進んでいる途上であることを強調しておきます。ただ、「心の病ではなく、身体の問題なのだ」と再定義することで、当事者が自身の状態を受け入れやすくなり、また周囲からの否定的な意味付けや不当な扱いを緩和し、医療へ相談する垣根の下がることを期待しているのです。それが、当事者に対する、本当の支援になると思います。 解剖学的にアプローチしてみると・・・ ここで、視点を変えます。生物学的な性徴は、性器や体格、生理反応という身体の性徴として明確に現れます(性的二形)。では、性自認の性徴は、どうでしょうか。性自認が「心の性別」であるなら、それは、脳に現れるはずです。大丈夫でしょうか。少なくとも、本コラムの読者は「心(≒精神)を司る臓器は、脳である」ということを受け入れておられる。これを前提に、解説を続けます。 そうは言っても、「じゃあ、心って、何なの? そもそも、自分の心が男性、あるいは女性って、どういうことなの?」と考えたとき、「それはね……」と、スラスラと口をついて出る方は、そうそうおられないと思います。 難しいですよね。医学や生物学だと、まず解剖学的にアプローチします。つまり、身体の性徴と同様に、脳の何かに男女差を見つけて、性徴と看做すのです。しかしながら、実際、脳の解剖学的な男女差は、ほとんどありません。平均的な体型の差を反映して、男性の脳は女性より少し大きいようです。
また、脳を分割・細分化して、各領域の平均値を比べると、確かに、統計的に有意な男女差はあります。もちろん、本当に脳を切断したわけではなく、MRI(注6)の非侵襲的なデータです。しかし、そうした脳領域でも、実質、男女差より個人差の方が大きいのです。 さらに言うと、個人のデータでは、男性に有意な脳領域と女性に有意な脳領域が混在しています(注7)。つまり、集団の平均値としては、男女差を認める脳領域があるにせよ、個人のデータでは、男性と女性がモザイクなのです。結論、脳には、解剖学的に明瞭な性的二形は「未発見」です。今後、面白い発見の可能性は否定しませんが、かなり望み薄でしょう。
ちなみに、現時点で、脳に、解剖学的な性徴が見つかっていないという意味では、一般書やネットの記事で、巷に出回る「男性脳・女性脳」「男性は話を聞かない/女性は地図が読めない」などは、ほぼ眉唾物です。真面目な研究者の間では神経神話(neuromyth)と蔑まれています。 その多くはエビデンスに欠け、脳機能の男女差というより、教育や文化などによる男女差と考えられています。尤もらしい「脳科学」は、世間受けが良いようですが、おそらく、老若男女を問わず、社会的な偏見や諦念の根拠、差別の正当化に利用されているのでしょう。曰く、「男だから/女だから/若いから/老いたから」のように。神経神話については、それだけで文章量が嵩むので、別の機会があれば改めます。 脳をコンピューターに例えてみると・・・ 脳の解剖学では、「心の性別」を示すことは難しそうでした。これを理解するために、脳の比喩として、パソコンやスマホを考えてみます。実際の、システムの基本構造や設計、いわゆる計算機としてのアーキテクチャー(architecture)は、脳とパソコンでは異なるのですが、「個々の外見や性能は概ね一定であること」を踏まえて、次のように例えるのは、どうでしょう。 ●インストールされたソフト・アプリ → 思考パターンや振る舞い、性格、人格 ●記録・入力されたデータ → 記憶、経験、思い出、知識 ●繋がっているネットワーク → 社会関係、生活環境 パソコンやスマホの場合は、本体の初期化によって、空っぽからやり直せますが、それでも必ず、オペレーティングシステム(operating system,OS)を最優先にインストールし、設定しなくてはいけません。スマホならAndroidやiOS、パソコンならWindowsやmacOS、ChromeOS、Linuxが、そうです。
そして、このOSが、コンピューターの性別に喩えられると思うのです。つまり、男女で、脳という臓器は、ほぼ同じ構造だとしても、そこに設定される初期のシステムに男女の性別があると考えるわけです。 もちろん、脳に性別を設定するのは、コンピューターにOSをインストールするようにはいきません(そもそもアーキテクチャーが違います)。脳を構成する神経細胞、ニューロンとグリア細胞は、天文学的な規模で複雑に絡み合い、繋がっています。 さらにいうと、受精卵が細胞分裂を繰り返した胚に始まって、分化を進めた細胞によって脳を含む各臓器や組織が形成され、胎児期から出産後の乳児期、幼少期、思春期を経て、成人に至るまで発達し続けます。その発生学上、それぞれのタイミングで脳に性徴を促す、つまり動物のOSや基本ソフトをインストールするものは何でしょうか? 脳の“性別”が決まるメカニズム もしかすると、カンの良い読者は、ピンときているかもしれませんね。そう、性ホルモンです。性ホルモンについては、第43回で触れ、テーマが「更年期障害」でしたから、内分泌学的に説明しました。ざっくり、性ホルモンの働きは、視床下部-下垂体-性腺系(Hypothalamic-pituitary-gonadal axis, HPG軸)という、幾つものホルモンが織りなすネットワークシステムです。そのシステムが第二次性徴を誘導し、その後の体内環境と身体の性別を維持します。そして、システムの失調が、更年期障害の正体でした。 一方、発生学的な、性ホルモンの作用を調べるとなると、膨大な量です。それこそ、精子と卵(らん)の受精、受精卵の細胞分裂と着床、各細胞の分化と立体配置、組織、臓器、……分厚い辞書のような専門書です。 ここでは、重要ポイントに絞って、脳の性別が決まるメカニズムを説明します。ただし、ヒトを使った実験は、倫理上、無理なので、あくまで、動物実験などから類推される仮説であることは、先に述べておきます。 まず、「哺乳類の基本形は雌性」という発生学的な事実を原則と考えてください。もしかすると、神話の世界では男性優位なことが多いので、違和感のある読者もおられるかも。例えば、旧約聖書では、神は自らに似せて、土からアダムを創造され、後にアダムの肋骨からイブを創造されました(注8)。しかし、実際の自然界は、逆なのです。
次に、受精卵が持つゲノム(全ての遺伝子セット/染色体の総数)の中の、性染色体(XとY)が、XXの2本なら雌性で、XYの2本なら雄性であることは、ご存じの読者も多いと思います。 実は、Y染色体には、あまり遺伝子が含まれていません。その主要な役割は、個体を雄性にすることです。そして、それを担うのが、Y染色体性決定領域遺伝子(Sex-determining region Y, SRY/SRY遺伝子とも)です。ただし、正確には、XY胎児のSRY遺伝子が発現するタンパク質は、胎児に発生した未分化な性腺を雄性(精巣)に分化誘導します。 一方、これがXX胎児の場合、未分化な性腺は、そのまま雌性(卵巣)へと分化を進めます。このとき、XX胎児に、SRY遺伝子をノックイン(gene knock-in:遺伝子導入)したら、どうなるでしょうか? もちろん、性腺は、雄性化します。逆に、XY胎児のSRY遺伝子をノックアウト(gene knockout:遺伝子機能欠損/遺伝子破壊)したら? そう、雌性化するのです。つまり、性腺の発生は、SRYタンパク質に刺激されると雄性化し、されなければ、雌性へ分化するよう、予めプログラミングされているのです。先ほど述べた「哺乳類の基本形が雌性」の原則が、お分かりになるでしょう。 さて、発生初期の胎児で、性腺分化の性的二形がSRYタンパク質の有無で分岐した後は、分化した性腺が、胎児の性徴を誘導します。ここで重要な役割を担うのは、またしても雄性、つまり精巣です。 まず、母親の子宮に着床した胎盤から分泌されるホルモン(胎盤性ゴナドトロピン)が、母親の卵巣に形成された黄体を維持して妊娠ホルモン(プロゲストロン)を分泌させ、妊娠を継続させることは、第43回でも説明しました。このとき胎盤性ゴナドトロピンは、同時に、胎児にも作用して性腺の分化と成熟を加速します。 そして、胎児が雄性の場合、性腺である精巣から、男性ホルモン(アンドロゲン)が分泌され、さらに胎児の雄性化を増進するのです。このときのアンドロゲン・シャワーが、胎児の脳を雄性化すると考えられています。実際、動物実験で、雌性胎児にアンドロゲンを大量投与すると、出生後の生殖行動が雄のようになります。
逆に、雄性胎児にアンドロゲンの阻害剤を投与すると、行動が雌性化します。つまり、胎児期にアンドロゲンで刺激されると脳が雄性に、刺激されなければ雌性に分化するよう、脳に予めプログラミングされているのです。ここでも「哺乳類の基本形が雌性」という原則が成立しています。 以上の内容は、おそらくヒトでも同じであろうと考えられています。例えば、生まれつきアンドロゲン受容体を欠損している、完全型アンドロゲン不応症の男性は、性自認が女性であり、性的指向が異性(男性:生物学的には同性愛)であるそうです。 これは、脳がアンドロゲンの刺激を受けなかったため雄性に分化せず、雌性化したのかもしれません。また、生まれつき副腎からのアンドロゲン分泌が過剰な、先天性副腎皮質過形成症の女性は、子供の頃から男の子の遊びが好きで、性自認は女性でも性的指向が同性(生物学的にも同性愛)となる場合があり、性別不合の統計頻度が高いというデータがあるようです。 こちらは、通常なら受けないアンドロゲンの刺激で、不完全ながら脳が雄性化を促されたのかもしれません。ただし、養育環境など、後天的な影響も大きいという考察もあります。実際のところ、脳の性徴に性ホルモンが影響するとは言え、そもそも、心の発達や成長には、後天的な経験や環境、文化や教育などが大きく影響します。そして、それは、私たちが、動物であり、同時に、ただの動物ではないことからも考えるべきかもしれません。 ここまで、医学・生物学から「心の性別/性自認」を考察してきました。個人的には、さらに研究が進み、理解が深まれば、どのような性別も認め合え、個性の一つとなるように思えます。もちろん、社会活動における問題や世間的な関係構築の問題はあるでしょうが、お互いの無理解から生じる葛藤は和らぐのではないかと思うのは、楽観的に過ぎますか、ね。 |