Column
第62回 がんと老化について(前編) |
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<質問> 本羅先生、こんにちは。先日、市役所から”がん検診”の案内が届きました。今は地方自治体が、こういう検診を市民に連絡しているんですね。保険会社のCMで見るくらいで、がんに自分が罹る可能性なんて、これまでマジメに考えたことがなかったので、ちょっとビックリしました。一定の年齢から、みたいですが、そういう検査をした方が良いほど、日本では、がん患者って多いのですか?(神奈川県 H.A.)
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<回答> H.A.さん、ご質問ありがとうございます。がん検診の案内、私も毎年受け取っていますよ。そういう年齢を超えたんだなぁと感慨にふける……というより、ちょっと生活習慣を見直す良い機会にしています。 日本人の死因とがんの現状 後ほど詳しく説明しますが、がんの種類によっては発症の増える年齢が分かっています。そして、実際、最新の厚労省の統計(2022年)によれば日本人の死因の1位は、がんです(24.8%)。
ただし、H.A.さんの「日本人に、がん患者は多いのか?」という心配は、無用な誤解です。というのも、がんが死因の1位であることは、他の病気で死ぬことが少なくなったことの裏返しだからです。そして、最新の日本人の死因は、2位に心疾患(高血圧性を除く/14.8%)、3位が老衰(11.4%)、4位が脳血管疾患(6.8%)と続きます。 2位と4位は実質的に同じ「血管内壁の老化に伴う疾患」ですし、3位は言わずもがな。5位の肺炎(4.7%)はともかく、6位の誤嚥性肺炎(3.6%)もお年寄りの介護で注意が必須の疾患です。 がんと老化の関係 さらに、これも後ほど説明しますが、そもそも、がんは身体の老化現象の一部なのです。本コラム第29回でも触れましたが、ここ数年は高齢化が進んだせいで、毎年2万人ほど死者数が増加する傾向にあると、厚労省からも報告されています。 最新の死因(1?4位、6位)から鑑みるに、現在の日本人は、ざっくり全体の6割以上が身体の老化による個体の寿命で亡くなる……そう考えるのが自然でしょう。事実、高齢化の影響を除いた、がんの年齢調整罹患率は、2010年辺りで増加が抑えられ、年齢調整死亡率は1990年代半ばから減少しています。 しかしながら「がんは身体の老化現象ですよ」と言われて、なるほど!と膝を打つ人は少ないかもしれません。ここで、改めて、がんという病気について考えてみます。 がんの定義と発症メカニズム 一言でまとめると、がんとは「制御が外れて分裂を止められなくなった細胞」です。無制御に増殖する細胞が身体の生理機能を阻害するために、がんと呼ばれる疾病の諸症状が現れるというわけです。このとき、どの臓器における、どの組織の細胞が増殖したかによって、胃がん/肺がん/乳がんなどと言い表します。 医学的には、がんの正式名称は悪性新生物(malignant neoplasms)です。この単語、初めて耳にする皆さんは、まず間違いなく、悪性/新/生物、と意味を区切って聞き取り、「人に害をなす新しい生き物」と誤解されるのではないでしょうか。 正しくは、悪性/新生/物、つまり「身体機能を損ねる(悪性)新たに生じた(新生した)物」です。ただし「物」とはいえ、実際は「細胞」です。 ちなみに、この悪性新生物たる細胞の、大きな塊を悪性腫瘍(malignant tumour)と呼んでいます。そもそも、腫瘍(tumour)とは、無秩序に増殖した細胞塊の総称ですが、すぐさま生命に支障のないものを良性腫瘍(benign tumour)と呼んでいます。
がんの原因と発症のリスク 正常な細胞が悪性新生物となる原因は、細胞分裂を制御する遺伝子の障害です。と言いますか、一般に、遺伝子を傷つける物理的あるいは化学的な性質を「発がん性」と言います。例えば、タバコの煙やカビ毒などは、発がん性物質と呼ばれていますよね。 ただし、発がん性は確率の問題で、発がん性物質を投与したからといって、必ず「がん」になるという訳ではありません。物の毒性が質と量で評価されることに似ています(本コラム第24回)。 また、そう簡単に、細胞が悪性新生物となっては困ります。実際の細胞には、遺伝子レベル/細胞レベル/組織レベル/免疫レベルと、何重にも安全装置が仕掛けられています。 それぞれのレベルで……傷ついた遺伝子の修復/細胞の機能停止と再起動/細胞の自死(アポトーシス)/細胞の周辺環境の制御/免疫による不全な細胞の排除……私たちの身体システムは、悪性新生物を作らせないように、そして、できた悪性新生物は排除するように、上手くできています。 しかし、良くできたシステムとはいえ、物事に絶対はありません。幾重にも張り巡らされた防御網で、どれだけ細胞が悪性新生物になる確率を下げてもゼロにはなりませんし、いくら悪性新生物を削除し続けても網を潜り抜けるものはいるのです。ということは、細胞分裂の頻度が増すほど、がんの生じる可能性が高まるのは道理です。 「がん」と「癌」と「ガン」 ここまで、ひらがなで「がん」と記載してきましたが、漢字の「癌」やカタカナの「ガン」も、ひらがなの「がん」と同じ意味で用いて問題ありません。ざっくり言うと、当用漢字に記載されなかったので、ひらがなの「がん」が多用されたというだけのようです。
悪性新生物の分類 悪性新生物は、発症する細胞種の組織で大きく3つに分けられます。1つ目は「血液や免疫に関する組織」、2つ目は「上皮組織」、3つ目は「それ以外の組織」です。ちなみに、1つ目の代表的なものが「白血病」で、2つ目については「癌腫」、3つ目は「肉腫」と表すことが多いです。多くの人が耳にするのは2つ目、上皮組織の悪性新生物でしょう。 さて、上皮組織は身体の外縁、つまり外界と体内の境目です。もちろん皮膚だけではなく、口腔に始まる食道から胃腸などの消化管粘膜と呼吸器粘膜も、そうです。しかし、体内の組織が身体の外縁と言われても、ピンとこないかもしれません。こういうときは、数学のトポロジー(注1)を知っていれば、イメージしやすいかもしれません。
よく使われる喩えが「竹輪」や「壺」です。竹輪の穴の空間や壺の内側、これらは、よくよく考えれば外界ですよね。動物での消化管は「竹輪の穴」、呼吸器は「壺の内側」の拡張とイメージすると良いでしょう。感覚としては身体の内側とはいえ、消化管や呼吸器が外界に接する空間を有することに実質的には変わりません。 そして外界に接する上皮組織は、どうしても外部からの刺激によって傷つきやすいため、高い修復能が必要です。つまり、細胞分裂が盛んということになります。ここで、先ほどの発がん性の話を思いだされた読者もおられることでしょう。そうです。そもそも細胞分裂の盛んな上皮組織は、がんになりやすのです。 がん発症のメカニズム 一般的には、傷ついた組織が炎症を起こすと、その周囲にまで影響が広がります。と言いますか、炎症とは、組織が傷ついた細胞を排除して、恒常性を維持するためのメカニズムなのです。 当然ながら、このとき、組織を維持する/再生するために、細胞分裂が増えます。このことを踏まえて、正常な組織は、次のステップで、がんになるとイメージしてください。 1.何らかの理由で組織に炎症が生じ、細胞分裂が増加する。 2.一定の確率で悪性新生物となるため、がん細胞の絶対数は細胞分裂の増加に比例する。 3.がん細胞の、安全装置を潜り抜ける絶対数が増える。 4.組織が、がんになる。 実際には、炎症から直接がんになるわけではなく、組織は、化生(かせい(注2))と呼ばれる前がん状態に変化します。医学的には、ここで元の組織に回復するか否かが、がんになる境界線と考えられています。
再生医療とがんの治療 細胞の分化については過去に触れましたが(本コラム第17回、第39回)、本来ですと、一度分化した細胞や組織は、別の組織に変化(再分化)することはありません。 分化する前の状態である「幹細胞」に戻して(初期化 Reprogramming)、別の組織に分化誘導することができた、という研究でノーベル賞を受賞したのが、山中伸弥先生の人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cells)、いわゆる「iPS細胞」です。 ここまでに述べた「がんになるイメージ」は、そっくりそのまま再生医療の解説(本コラム第39回)で触れたことと重なります。 つまり、がんとは「体内で無秩序に細胞が増える」ことで「増える細胞は遺伝子の障害で元の細胞から初期化している」のです。逆に言うと、体内での「細胞の初期化」と「細胞分裂の秩序」を制御することができれば、がんの根本的な治療になりますし、再生医療の道筋ともなります。ですが、残念ながら、まだまだ研究は道半ばです。 がんの予防 ここまでで、がんの大まかな理解ができたと思います。ざっくり、炎症を防いで余計な細胞分裂を増やさないことが、がんを予防すると考えて良いのですが、先に説明した細胞レベルから組織レベル、免疫レベルに至る各種の安全装置は、年齢とともに衰えます。 細胞レベルでは、老化細胞と呼ばれる状態になって、炎症に似た影響を及ぼしますし、免疫レベルでは、司令塔となるT細胞は新たに生じず、減少するのみです。つまり、冒頭で、がんが老化現象の一部、と述べた意味は、「老化によって、がんを抑える機能が衰える」ということなのです。 となると、どうやって若返るのか、少なくとも、老化を留めることができるのか、が気になるところです。しかしながら、がんの説明に字数を使い過ぎてしまいました。続きは、次回に持ち越します。 |