Column
第38回 脳腸相関について |
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<質問> 本羅先生、こんにちは。先日、マツコ・デラックスさんが、某乳酸菌飲料にハマっていることをTVで話していました。何でも、睡眠の質が凄く良くなったのだとか。 私も試してみたいと思ったのですが、どこも品切れが続いていて手に入りません。ただ、まだ試していないので何とも言えませんが、よく考えたら不思議です。 乳酸菌でオナカの調子が良くなるだろうとは思うのですが、それと睡眠の質が良くなることが結びつかず、イメージが湧きません。これって、医学的には根拠があるのでしょうか。それとも何か暗示的な作用なのでしょうか。(東京都 S.I.)
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<回答> S.I.さん、ご質問ありがとうございます。S.I.さんのお話を聞いて、私もスーパーやコンビニを探してみたのですが、どこも売り切れ/入荷未定でした。たまたま勤め先の近くに販売センターがあることを聞いたので覗いてみたのですが、店頭に「生産が安定するまで、しばらく販売を取りやめています」との張り紙が。 調べてみると、定期購入を申し込む公式HPでも、「短期間で大幅なご注文をいただいたため、新規お申し込みの受け付けを一時休止させていただいております。」と、お詫びのコメントが掲載されていました。 マツコさんの影響って、本当にすごいですね。調べついでに公式HPをよく読んでみたところ、確かに機能性表示食品として消費者庁に届出が出されていて、「ストレス緩和」と「睡眠の質向上」が謳われていました。 乳酸菌飲料で睡眠の質が向上するってホント? 製薬企業のような、厳密な臨床試験ではありませんが、次のような調査を行ったようです。 徳島大学医学部4年生の進級に関わる学術試験を精神的ストレスのイベントとして、対象の乳酸菌飲料を試験の8週前から飲用してもらい、下記の4項目を試験の前後で比較したところ、良い結果が得られたとのことです。 ・ 唾液に含まれるコルチゾール(Cortisol:ストレスがかかると増えるホルモンの一種) ・ レム睡眠(※1)とノンレム睡眠(※2)の割合 ・ デルタ波(※3)の割合 ・ アンケート(ストレスの体感/起床時の眠気など) しかし、「どのような生理メカニズムが働いて、そのような結果が得られたのか?」については、触れられていませんでした。
ただし、これは乳酸菌飲料を販売している企業のデータなので、あくまで乳酸菌の、自社製品におけるオリジナル株を飲用したことによる結果に過ぎず、当然ながら、どんな乳酸菌でも同じ結果が得られるか、保証はありません(得られるかもしれませんが)。
乳酸菌とアルコール そもそも、乳酸菌とは、炭水化物を分解して乳酸(lactic acid, 化学式:C3H6O3, 示性式:CH3-CH(OH)-COOH )を分泌する細菌の仲間で、古来より人類の食文化に貢献してきた、長いお付き合いのある細菌類です。 というのも、乳酸は比較的pHが低く(酸性が強い)、乳酸菌の周囲では腐敗菌が増えないのです。特に、今回の某飲料に含まれているラクトバシラス属 (Lactobacillus, ラクトバチルスとも呼ばれる)は、古くからヨーグルト等、発酵食品の製造に利用されてきましたが、対象は乳製品に限りません。 ラクトバシラス属の一部には、アルコールに耐性を持つ種類があり、私の好きな日本酒の醸造でも利用されます。特に、昔ながらの生酛造りや山廃仕込みでは、天然の乳酸菌を取り込んで余計な雑菌の繁殖を防ぎつつ、同時に、酸に強い清酒酵母を加えてアルコール発酵を進めます。 しかし、乳酸菌の種類によっては、日本酒の風味を損ねてしまうこともあるようで(腐造)、そうした乳酸菌は、火落ち菌として忌み嫌われていました。 ところが面白いことに、日本酒の蔵で嫌われる火落ち菌は、ワインのシャトー(Chateau)やドメーヌ(Domaine)では、むしろ好んで用いられます。 マロラクティック発酵(malolactic conversion)と言って、ブドウ果汁に含まれる強い酸味を和らげる(リンゴ酸を乳酸に変換する)のだそうです。 同じ酒の醸造であっても、国と文化の違いで、同じ細菌が好まれたり嫌われたりするのは、興味深いですね。 「オナカの調子が良い」とは? S.I.さんのおっしゃるように、乳酸菌がオナカの調子を良くする(腸内環境が改善される)ことは、一般的な常識になってきたと思います。 しかし、具体的に「オナカの調子が良い」とは、何を意味しているのでしょうか?尾籠な話で恐縮ですが、感覚的には、「便秘もせず下痢もせず、美味しく食事をいただいた数時間後には、スンナリとトイレで大きい方を流す」という感じでしょうか。 ようするに、胃腸等の消化器官が違和感なく働いて、滞りなく排便できているときが「オナカの調子が良い」わけですね。この「滞りない排便」には、便の内容が重要です。 通常の便では、その80%が水分で、残り20%は、大きく3つに分けられます。まずは、消化吸収されなかった食べ物のカス。次に、腸など消化管の内膜が剥がれた物(皮膚で言うところの垢のようなもの)。3つ目は、腸内細菌です。そして、この腸内細菌の、腸内における状態が、まさに腸内環境なのです。 それでは、オナカの調子と腸内環境は、どのような関係にあるのでしょうか。そもそも腸内細菌の種類は1000を超え、ヒト一人における腸内細菌の総数は100兆個に達すると言われています。 また、便の固形分(20%)に含まれる腸内細菌は1gあたり1兆個もあり、およそ正常な便の1/3~1/2が、腸内細菌および、その死骸と見なされています。まさに、腸内環境(腸内細菌の様子)は、排便そのもの(オナカの調子)です。 俗に、腸内細菌は「善玉菌」と「悪玉菌」に分けられますが、実際には、善玉菌でも悪玉菌でもない、「その他の菌」の数が最も多いです。 いわゆる善玉菌は、腸内を酸性に保って悪玉菌の増殖を抑えたり、ビタミン類や有用な化合物を産生したりして、良い影響を与えます。悪玉菌は、腸内で毒素を出したり、食べ物のカスを腐敗させたりすることで、悪い影響を与えます。 腸内細菌について 私たちのオナカの中には1000種を超える腸内細菌が存在するわけですが、実際には30~40種類でその大半を占めています。また、99%の腸内細菌は、生物系統分類学的に4つのグループに大別されます。つまり下記の4つです。
上記の4門以外に、メタン生成菌(Methanogen)も、腸内環境に適応して生息する代表的な菌です。いわゆる放屁(オナラ)に含まれるメタンガスは、彼らが生成したものです。厳密には細菌ではなく、古細菌なのですが、細菌と古細菌の違いについては、話が長くなるので、別の機会に譲ります。 脳腸相関 ― “脳”から“腸”へ 様々な種類の腸内細菌は、腸管内で均一に存在しているわけではなく、それぞれの種類毎、別々にまとまって腸管内壁に張り付いています。これを腸内細菌叢(intestinal flora:腸内フローラ)と言います。 広大な草原に何種類もの花々が繁茂する景色を想像してください。腸管内壁が「草原」の、群なす草花が「腸内細菌」のイメージです。つまり、様々な種類の腸内細菌に覆われた腸管内壁を叢(くさむら)に例えているわけです。この、腸管内壁の草原に生い茂る花々、腸内細菌の種類や数が腸内環境の正体です。 言い換えると、腸内細菌叢は、共生関係にある種々の細菌群によって腸管内壁で繰り広げられる、腸内細菌の生態系です。 同時に私たちも、腸管を通じて、この生態系に含まれていますから、私たちと腸内細菌叢も共生関係にあると言えます。ということは、腸管内壁に陣取る細菌群の種類や数などのバランス、つまり、腸内細菌叢の状態(=腸内環境)が、私たちの健康を左右するのは当然でしょう。 そして、腸内細菌叢を構成する細菌種のパターンは、各個人で異なるということがポイントです。さらに、特定の疾患に特有の腸内細菌叢パターンがあるかもしれないことも知られてきました。 そして、近年の研究では、腸内環境が、単に健康のみならず、中枢神経(脳)とも深く関わりを持つことも分かってきました。これを脳腸相関(brain-gut interaction)と言います。脳から腸へは、自律神経系を介して信号が伝えられます。 読者の皆さんも、人前に出るような機会に緊張してトイレが近くなったり、ストレスや不安が続くことで、お通じが悪くなったりすることに思い当たるのではないでしょうか。 これがあまりに酷くなると、過敏性腸症候群(irritable bowel syndrome, IBS)と呼ばれます。腸管が知覚過敏になる(痛み)と同時に、排泄を促す蠕動運動が激しくなる(下痢)、あるいは弱まる(便秘)ことが特徴です。 まだ原因は不明ですが、感染性疾患など別の疾病で腸に炎症があると、発症しやすいことが分かっています。 脳腸相関 ― “腸”から“脳”へ 逆に、腸から脳への信号伝達はどうでしょうか。もちろん、腸の神経細胞が脳を直接に刺激することはありませんが、脳が感覚神経で腸をモニターすることや、腸管の細胞から分泌された生理活性物質が血流に乗って、脳の神経核を刺激することを想定するのは難しくないでしょう。 意外かもしれませんが、脳の中で働く神経伝達物質の一部は、元々、消化管で働くホルモンに由来を持つものがあります。例えば、情動を安定させる神経伝達物質の一つ、セロトニンです。 実は、セロトニンは腸管の蠕動運動をコントロールするホルモンです。あるいは、気持ちが興奮する時に分泌する神経伝達物質の一つ、アドレナリンです。アドレナリンは、身体においては血圧を上げ、毛細血管を収縮させます。 ただし、神経伝達物質は血液脳関門(※4)(blood-brain barrier)を通過できないため、脳の外(内臓など)で作られたり、身体に投与されたりした場合は、脳内で働きません。
したがって、腸を蠕動させるセロトニンが脳に届いて気持ちを落ち着かせることは無いですし、Ⅰ型アレルギーの治療のために筋肉注射されたアドレナリンが、気持ちを興奮させることはありません。神経伝達物質としてのそれらは、脳の中で作られて作用します。 近年は、腸内細菌の分泌する短鎖脂肪酸(炭素数6以下の脂肪酸/酢酸や酪酸、乳酸など)が中枢神経に関わっているという可能性が議論されるようになってきました。ヒトでは未確認で、まだ動物実験レベルですが、酪酸(butyric acid, 化学式:C4H8O2, 示性式:CH3-CH2-CH2-COOH)に抗うつ作用のあることが知られており、おそらく脳由来神経栄養因子(Brain-derived neurotrophic factor, BDNF)を増強することによる作用ではないかと推測されています。 また、脳内で神経組織の修復や維持に働くミクログリア(※5)というグリア細胞(※6)は、腸内細菌の分泌する短鎖脂肪酸によって、細胞機能が成熟し活性化するという研究もあります。
さらに、腸内環境は、免疫細胞の単球(血中を循環し、マクロファージや樹状細胞に分化する/第29回を参照)を介して、脳の海馬(※7)における神経新生に影響していることも実験的に示されています。
つまり、腸内環境が、脳内における神経組織のメンテナンスに影響している可能性が明らかになりつつあります。 過敏性腸症候群 さて、まだまだ想像の域を超えませんが、先に説明した過敏性腸症候群では、次のような生理メカニズムが想定できます。 1) 精神的ストレスが、腸管を刺激し、腸管に不調が生じる(細胞代謝の亢進/停滞や分泌物の増減)。 2) 腸管の不調が腸内細菌叢に影響して、腸内環境が悪化する(善玉菌の抑制・減少/悪玉菌の増大)。 3) 腸内環境の悪化が、違和感や不快感(ストレス)、細菌群の分泌物として脳にフィードバックされる。 4) フィードバックされた情報や分泌物が脳に悪い影響を与え、さらに精神的ストレスを悪化させ、1に戻る。 もし、このような悪循環が生じているのであれば、悪循環を断ち切って好転させることも可能かもしれません。すなわち、 1) 腸内環境を改善し(善玉菌の増大・活性化/悪玉菌の抑制・減少)、腸管の不調を緩和する。 2) 腸内環境の改善が、脳に対する違和感や不快感(ストレス)のフィードバックを減弱し、細菌群の分泌物が脳に良い影響を与える。 3) 脳に与えられた良い影響が精神的ストレスを緩和し、腸管への刺激を減弱し、腸管の不調を改善する。 4) さらに腸内細菌叢が良好になり、良い刺激が脳にフィードバックされ、3に戻る。 あくまで、上記はイメージに過ぎません。実際に研究を進めるならば、「腸管の状態と腸内細菌叢の変化」および「腸内細菌叢の変化と脳の状態」の間に働いている、組織レベル/細胞レベル/生理活性物質レベルの関係を詳細に調べて、どのように脳の状態(心や気分)と腸内環境、化学物質が結びついているのかを明らかにしていく必要があります。 しかし、大まかなメカニズムとして、この想定があっているとすれば、まさに乳酸菌を飲用することで腸内環境を改善し、腸内細菌叢(腸内細菌たちの生態系)の変化が脳に良い刺激を与える、あるいは脳の状態を改善する、と考えられることになります。 まだ、医学的に正しいと言えるほどの強い根拠はありませんが、試してみることに問題は無さそうです。ただ、一点だけ、某社の製品を含め、乳酸菌飲料には糖分が比較的多く含まれているので、そこのところ、飲みすぎには注意した方が良いかもしれませんね。 |