Column
第64回 新型コロナウイルス(10) |
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<質問> 本羅先生、こんにちは。先日、職場に新人さんが入ってきたのですが、ちょっとクセの強い方のようで。メインの業務が接客なので、同僚も私もマスクは手放さないようにしているのですが、バックヤードが中心の上司らがマスクを外しているので、職場の建前上はマスクの着脱は個人の判断に委ねるとしています。 で、新人さんなんですが、いわゆる「鼻出しマスク」で仕事しているのです。正しく着けるように言うと「息がしにくいので」という返事。外すなら外す、着けるなら正しく、と指導したのですが、「着脱が自由であるなら、どう着けても問題ないのでは?」と、にべもない態度。上司も手をこまねいているようで、その他の態度もあって、同僚とも「最小限の接し方で、お客様の迷惑にならないようにするしかないか」と、腫れ物扱いなんです。 その新人さんからは「なんで、そんなにマスクに神経質なんですか?」と話しかけられたときに、「まだ新型コロナも終わってないし、不安になるでしょ?」と返すと、「新型コロナって、そんなに怖いですか? むしろワクチンで何百人も死んでるとNHKでも報道されてるんですけど、知らないんですか?」と笑われてしまいました。 私は、本羅先生のコラムを読んでいたのですが、とっさに上手く言い返せなくて……。それに、NHKで~と言われると、逆に私が心配し過ぎなのかと感じてしまって……。 本羅先生、もう私たちのような考え方は、神経質過ぎるのでしょうか? それとも、まだ、しっかり感染対策を続ける方が良いのでしょうか?(東京都 H.S.)
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<回答> H.S.さん、ご質問、ありがとうございます。新人さんとの接し方に、なかなか苦労されているようですね。 ちなみに、日本で、売り場以外のスペース(作業場/倉庫/事務所/控室など)として使われている「バックヤード(Backyard)」という言葉ですが、本来の意味は「(家の)裏庭」です。ちなみに米語のスラング(slang, 俗語/卑語)では「(自宅の裏庭のように知り尽くした)得意分野/専門分野」という意味でも使うようですね。 さて、結論から言うと、新型コロナ禍に対する感染対策は、まだまだ続けるべきだと、私は判断しています。その理由については、これまでのように、幾つかのデータを元にして、お話を進めましょう。 モデルナのデータに基づく感染者数の推移 まずは、モデルナ日本法人のデータから(図1)。
2023年5月8日以降、公的に発表されるデータでは、リアルタイムの感染状況を把握できなくなってしまったので、私は、すっかりモデルナ日本法人のデータを頼りにしています。 感染者数の減少と陽性率の傾向 それはともかく、今回の第11波については少し妙な気がします。というのも、前回の第10波よりも感染者数のピークが高まっているものの、比較的早く減少に転じたからです。それだけなら良いのですが、おそらく、減少の底も高いままの様に見えます。 さらに、全国平均(図1A)と各地方では流行の波形に差があり、特に関東では、さらに底が高いように見えます(図1B "9/21")。加えて今回は、「陽性率の推移」も示しますが、患者数の減少に比べて、陽性率は下がっていません。 季節的に同等な前年の第9波と比べると、流行の始まりも終わりも早まっているようなのですが、やはり感染者数の谷は下がりきっておらず、このままでは、この後すぐに次の波に襲われるだろうと思われます。 そもそも、底とはいえ、全国で2万人以上、東京だけでも2千人以上の感染者が、毎日、医療機関で確認されていることに、危機感を覚えないことの方が、私には不思議でなりません(図1A、Bの青横線)。これは、第5波のピーク(2021年8月25日の新規感染者数:2万5千人、7日平均:2万3千人)に匹敵するレベルなのです。 さらに言うと、2023年5月8日に感染症法の扱いが「新型インフルエンザ等感染症」から「5類感染症」に変わり、検査や治療が有料となってからは、積極的に医療機関にかかる感染者が減っています。 加えて、そもそも不顕性感染者(症状の無い、あるいは軽い感染者)はデータに反映されません。つまり、本コラム第52回の最後に言及したように、おおよそ感染者数を見積もるときは、モデルナのデータですら背後にデータ化されない「見えない感染者」がいる、データの数字は実際より少ない、と考えるべきなのです。 私個人の意見ですが、感染症法の扱い変更前後かつ季節も勘案した上で、第7波と第9波のピークが同じ規模だったと仮定すれば、今のデータは現状の6割程度、つまり実際は、見えるデータの5割増し位かなと考えています。つまり、現状の第11波の谷ですら、第5波のピークを遥かに超える3万人規模の新規感染者が毎日増えているのではないでしょうか。 下水サーベイランスの役割 モデルナのデータ以外に、私が参考としているのが「下水中のウイルス由来RNA濃度の測定」、いわゆる下水サーベイランス(Waste-water surveillance)です。新型コロナウイルスは、腸の上皮細胞にも感染します。つまり、感染者の排泄物にはウイルスが含まれているということです。このことから簡単に言うと、「下水に含まれるウイルス濃度は、その地域の感染者数に比例する」と考えられるのです。もちろん、正確な感染者数は分かりませんが、少なくとも、不顕性感染者もデータに含まれることは間違いありません。 以前から本コラムでも紹介している、東北大学を中心とする仙台市のデータでは、2024年9月23日付で「2週続けて増加している」と発表されています。 最近は、幾つかの地方自治体でも下水サーベイランスに取り組んでいるようです。ただし、少し発表までに時間がかかるようです。ここでは、札幌市(図2)と神奈川県(図3)の公表しているグラフを示します。まずは、ざっくりとした傾向が見えるだけでも良いでしょう。
具体的な感染者数が分からないことは、さておき、RNA濃度が増加していることから市中に感染者が多くいるだろうことは窺い知れます。そして、やはり、定点医療機関当たりの患者報告数の推移とは、かなりズレがあるように見えます。 先に触れた仙台市のデータでは、2024年9月23日から29日における新規感染者数の予測値は4953人とのことでした。適当すぎる単純計算ですが、感染者が人口の規模に比例すると考えると、同じ時期に、東京では7万人ほどの新規感染者が発生するかもしれません(人口:仙台市110万人弱、東京都1410万人)。 新型コロナウイルスの変異系統 ところで、これまで人類の経験してきた他の感染症と異なる、新型コロナ禍の一番の特徴と言えるのは、突然変異の速さと、それに伴う変異系統の多さです。 例えば、これまでにも紹介したPANGOリニエージ(lineages, 系統)の系統樹を見ると、目がくらみそうです。前回の紹介が本コラム第52回ですから、およそ1年ぶりになります。 以前は「系統樹」を長方形に描き、横軸に時間、縦軸方向に変異系統を示しましたが、登録された系統が4362種類ともなると、さすがに初期の系統が分かりにくくなってしまったので、今回は、円形に展開した系統樹を示します(図4)。
PANGOリニエージの詳細については本コラム第27回で解説しました。命名法については本コラム第57回でも再説しましたが、今回は内容にも改めて簡単に触れておきましょう。まず、新型コロナウイルスを検出すると、GISAID クレード(clade, 系統群)と、Nextstrain クレードという系統樹で、変異したタンパク質の種類と経時変化に注目します(注1)。
2つの系統樹を基にして、各変異型の特徴を比較し、新たな変異型であると確認されたウイルスを系統的に命名したものがPANGO リニエージです。PANGOは”Phylogenetic Assignment of Named Global Outbreak”のイニシャルで、意訳すれば「世界的にアウトブレイクする指定感染症の系統発生学的な割り当て」となりましょうか。後ろのリニエージ(Lineages)を加えて、PANGOLINとも略します。 さて、2021年末にオミクロン株が出現して以来、様子がガラリと変わったことが分かります。現状は全てオミクロン株で、その中でも変異に変異を重ね、異なる変異株が一人に同時に感染することで遺伝子組換えを起こすこともありました(Xで始まる系統名)。 そして、遺伝子組換えを繰り返して、どんどん凶悪化していくかと思いきや、今年(2024年)は、少し系統の外れた、ピロラ(Pirola,PANGOリニエージBA.2.86 =B.1.1.529.2.86,本コラム第52回初出)と、その変異系統(PANGOリニエージJN.1 =BA.2.86.1.1)が、新たに世界中を埋め尽くしています。 それでは、現在の日本における変異系統も、分かる限りでの最新データを見てみましょう(図5)。
やはり、ピロラが、ほとんどの感染者から検出されているようです。ちなみに、PANGOリニエージKP.1およびKP.2は、それぞれ”JN.1.11.1.1”および”JN.1.11.1.2”です。変異系統の命名に用いられているアルファベット2文字の表記は、現在、すでにMY.1(=KP.3.1.8.1)とMZ.1(=JN.1.67.1.1)まで進んで、Mの2文字表記を使い果たしたようです。冗談抜きでZZまで使うことになるやもしれません。念のために、現在の変異株が、武漢オリジナル株(B)から、13段階も変異しているということを以下に記述しておきます。 ワクチンに対する誤解 さて、H.S.さんの職場の新人さんが、おっしゃった「ワクチンで何百人も死んでるとNHKでも報道されてる」というお話ですが、私が「NHK 新型コロナワクチン 死亡」と検索したところでは、該当する報道の確認が取れませんでした。 すぐに見つかるのは、ワクチン接種と死因が否定できない場合に自治体が給付する「死亡一時金」についてのニュースばかりですね。以前にも本コラム第23回で説明しましたが、ワクチン接種後の副反応には「薬とは無関係あるいは関係が薄い影響」も含まれます。 原理的に両者を区別できないことから、全てのワクチンの副反応は、一定の基準に沿って全て報告する義務があります。極端な話、ワクチン接種の帰り道に滑って転んで、不幸にも打ち所が悪くて亡くなったとしても、もしかしてワクチンの影響が無かったか?を調べる、ということです。むしろ、NHKのHPには、そうした「ワクチン接種に関するデマ」に注意するように、と健康情報のQ&Aに項目がありますよ。
マスクの重要性と正しい着用方法 また、未だにマスク着用が感染対策として有効ではない、と言いたい方もマスコミにおられるようです。残念ながら、一般の方にも、ある程度はおられるのでしょう。
しかし、以前からお伝えしているように、一般の方にとって、マスクは「自分が感染しないこと」よりも「人に感染させないこと」が第一の目的です。もちろん、自分の感染する確率を下げるためにもマスクは有効です。どちらにせよ、鼻をマスクから出しては、呼吸器感染症の拡散防止にも予防にも意味がありません。 日本だけに限りませんが、マスクの忌避は感染者を激増させ、結果として変異株の発生も止められず、未だに収拾がつかないのです。日本では2022年以降、特に暑い季節の不快さゆえに「熱中症の原因であるマスクは外すべき」というデマが横行しており、それまで何とか抑えていた感染者数が第6波以降は減少しきらず、第7波で一気に増大し、現在に至ります。 TPOに合わせたマスクの着用という意識を社会で共有できなかったことは、日本の感染症対策史に深く刻まれることでしょう。改めてお伝えいたしますが「マスクが熱中症の危険因子である」というエビデンスはありません。ただし、三密を避けて、十分な換気ができる所では、マスクを着けなくても問題ありません。 感染者数が減らない現状 現状、第11波は落ち着いてきたように思われます。しかし繰り返しますが、全国の医療機関からのデータでは新規感染者数が毎日2万人以上いて、実際は3万人を超える可能性があります。つまり、無症状の、あるいは症状の軽い感染者は、人口に比例して、私たちの生活圏内にいると考えられるのです。実際のところ、少し遅れて出てくるデータではありますが、厚労省に把握できるだけでも、入院する患者が週に1500人ほどいます(図6)。
このような状況で私は、しっかり感染対策をすることが、神経質だとは思えません。当然のことと考えます。H.S.さんも、差し支えなければ上司に今回のデータをお見せして、「今は少なくとも、不特定多数を接客するのであれば、正しいマスク着用が必須な状況だ」と説明してください。 私は感謝しています。H.S.さんのように良心的な方が社会の多数を占めているおかげで、まだ何とか経済が保たれているのだと。私たち一般人にできることは、三密回避やTPOに応じたマスク着用、手洗い・うがいといった、感染症対策の基本に忠実であり続けることだけですから。 そして何とか、この新型コロナ禍で社会が軟着陸できる落としどころを見つけるべく頑張っている研究者達、未曾有の感染症に対する防波堤であり続ける医療従事者達にも感謝を込めて、今回の筆をおきたいと思います。 |