JES History
2006年2月から4月にかけblogで連載したJES Historyの保存版です。 |
第5回 | 6畳間からのスタート |
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2006年2月から4月にかけblogで連載したJES Historyの保存版です。 |
第5回 | 6畳間からのスタート |
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<2006/3/3> | ||
当時わが家は横浜駅東口から徒歩10分ほどの場所にある公団住宅の4階に住んでいました。鉄筋コンクリート4階建てのうち、1階、2階が家具屋さんで3階、4階が公団住宅という珍しい造りのビルでした。 当時としては2DK(6畳間が2つと小さなダイニングキッチン)のアパートは先進的な造りだったのかもしれませんが、2つの6畳間のうち一つを父がオフィスとして占有したので、結局6畳一間に家族5人で寝ることになり、しばらくの間私は押入れの中で寝ていました。 1964(昭和39)年10月10日、有限会社ジェスコーポレーションが正式に会社登記され「日本で初の翻訳会社が誕生か?」と思われましたが、実はそれから数十年後、当時すでにいくつかの翻訳会社が存在していたことがわかりました。 設立と同時に東京都品川区大井にある小さなオフィスへ移転。私の記憶では机2つか3つでいっぱいになる、細長くて小さな物置のような部屋でした。 それから1年半後、自宅から徒歩5分ほどの場所にあるオフィスビル(横浜市神奈川区青木通の青木橋ビル)へ再度移転しました。1966(昭和41)年5月のことでした。 当時の父はいつも難しい顔をして、常にピリピリしていました。近づくと殴られかねない雰囲気の中で仕事や勉強をしていたからです。 もともと大変な勉強家だったわけですが、技術翻訳業を始めてからはさらに拍車がかかり、睡眠中と入浴中以外は勉強をしていたという印象です。 当時まだ珍しかったポータブルのテープレコーダーに難しい英語表現やスペイン語を自ら吹き込み、食事中も車の運転中もトイレの中でも聞いていました。本と単語カードは常に持ち歩き、少しでも時間があけば語学や技術の勉強をしていました。 まさに鬼気迫る形相で勉強をする修行僧のような父の姿を見て、本気で私は考えていました 「こんなに勉強しなくちゃならないなら、翻訳者にだけはなりたくない」と・・・。 |
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